関東

東海道を歩く 5: 藤沢~大磯

藤沢と言えば、湘南の玄関口。今日はこの藤沢から湘南を横断し、大磯までを歩きます。残念ながら、湘南の海の近くは歩かないのですが、どの町も結構発展していて、なかなか楽しい街歩きです。

藤沢宿

さて、前回は遊行寺まで歩いたので、今回は藤沢宿からのスタート。藤沢駅から少し離れたところにあります。藤沢宿は遊行寺の門前町でもあり、東海道の宿場町としても知られます。藤沢からは江の島道や鎌倉道、大山道が分岐しており、とても栄えた宿場でした。

藤沢と言えば、もちろん湘南。そして、湘南と言えば海なんですが、残念なことに東海道は海からずいぶん遠いところを行きます。海が見えるということもありません。

藤沢宿の入り口には、ふじさわ街道交流館があり、道はクランクになっています。このあたりだけ、どこかとても街道らしい感じ。

遊行寺
遊行寺へ。遊行寺は前回行ったので、今日は先を急ぎます。
ふじさわ宿交流館
ふじさわ宿交流館

現在の藤沢宿を通る東海道は国道467号線となっており、国道1号線や江の島方面を結ぶ国道として、バイパスになっているのか、交通量はかなり多いです。車がこんなに多いと、街道らしさもあまり感じられないのかも。とはいえ、藤沢にはかつて宿場町あったことを思わせるような、大きな蔵がいくつか残っています。

藤沢宿
藤沢宿の町並み。宿場らしさは…ないですね。
藤沢宿
藤沢宿の町並み
蒔田本陣跡
蒔田本陣跡。本陣跡には何も残っておらず。
桔梗屋の蔵
桔梗屋の蔵。茶や紙問屋を営んだ旧家。1911年のもの。

藤沢には、その昔、藤沢御殿があり、徳川家康ら将軍が利用しました。御殿は水堀で囲まれて、とても大きな御殿だったようですが、今では完全になくなってしまっており、残っているのは一部の地名のみ。

また、奥州で殺された源義経の首は鎌倉へと送られ、片瀬の浜に捨てられたと言われていますが、潮に乗って堺川を上がり、白旗神社に漂流したという伝説も残っています。そんな白旗神社は義経を祀り、近くには義経の首洗い井戸も。

藤沢御殿
藤沢御殿のあったところ。今は地名だけが残っています。
白旗神社
白旗神社

茅ヶ崎へ

伊勢山公園を右手に見ながら、小田急の藤沢本町を過ぎると、藤沢の町もいよいよ終わり。次は平塚です。平塚までは13kmととても長いです。藤沢本町の駅から1時間ほど歩くと、辻堂。そして辻堂からさらにさらに30分ほど歩くと茅ヶ崎です。

この辺りは、国道1号線ということもあって交通量も多めですが、道の両脇に松の木が植えられ、どこ街道らしさを感じ取ることができます。

東海道の松林
辻堂のあたりの松林もきれいです。
茅ヶ崎市の市境
ここから茅ヶ崎市。ちょうどこの辺りで大山街道と分岐。
牡丹餅の立場付近
牡丹餅の立場付近。牡丹餅が有名だったようだ。ラチエン通りもこの辺り。

茅ヶ崎が近づいてきました。茅ヶ崎というとやっぱりサザンオールスターでしょうかね!! 海がきれいな湘南の町というイメージですが、東海道は残念ながら海から1キロほど北のところを歩きます。

茅ヶ崎駅の近くには一里塚。ちょっとわかりにくいんですが、しっかり残っています。また、駅前に広がる家電製品店はもともと純水館茅ヶ崎製糸所の跡地。純水館は小諸にあった製糸工場ですが、茅ヶ崎にも誘致され、横浜港から世界に輸出されていました。

茅ヶ崎一里塚
一里塚(右)。南側が現存しています。
茅ヶ崎駅前
駅前から。左のヤマダ電機のところが旧茅ヶ崎製糸所の跡地
黒松の切り株
駅前にある、黒松の切り株。200年以上の樹齢だったのに、最近枯れてしまったようだ。
加山雄三の像
茅ヶ崎市役所前の加山雄三の像。サザンの銅像も作ればいいのに!!

茅ヶ崎から平塚

茅ヶ崎をでると相模川に向かって西に向かいます。やや下り坂の十間坂を下り、南湖の所までくると、街道は北へと向かうのですが、このあたりで見えるのが左富士。

これまで富士山はずっと正面か右手に見えていたので、左に見えるのは初めてです。東海道全体的に見ても、富士山が左に見えるのはここと静岡の一部ぐらい。

第六天神社
第六天神社。健康を願う東海道の旅人が立ち寄った神社でした。
南湖
南湖の左富士の碑。
左富士
うっすら富士山が見えるのが分かりますか。確かに左に見えます。

この南湖から北へまっすぐ伸びるのが鶴嶺八幡宮への参道です。鶴嶺八幡宮は源氏が関東へ進出する際の最初の氏社とも言われており、由緒ある神社です。

神社は東海道からは参道を北におよそ1kmほどそれるのですが、参道の左右に植えられた松並木はとても美しく、時間があればぜひ訪れたいところ。

鶴嶺八幡宮への参道
鶴嶺八幡宮への参道
鶴嶺八幡宮への参道
鶴嶺八幡宮への参道。松並木はずーっと続きます。
鶴嶺八幡宮
鶴嶺八幡宮

さて、戻って東海道を進むと、小出川を渡るすぐ手前にあるのが、旧相模川橋脚。中世の相模橋の橋脚が埋まっていたものが、関東大震災によって水田が隆起し、再度現れたようです。

実際に近くで見てみるとかなり大きいですね。立派な橋が架かっていたことは間違いなさそうです。相模川からは少し東ですが、相模川は今より少し東を流れていたんでしょうか。

また、相模川は河口付近では馬入川とも呼ばれるようですが、これは頼朝が落成供養に来た際に、馬が暴れた川に落ちたからなんだとか。

相模橋の橋脚
相模橋の橋脚。実際のものは地中に埋められているようだ。
馬入橋
馬入橋で相模川を渡ります。丹沢の山が見えます。
馬入の渡し
馬入の渡し
「でかまん」
このあたりの名物だった「でかまん」。店は閉めちゃったようです。

平塚宿

相模川を渡るとすぐに平塚です。平塚では馬入の一里塚の所で国道1号線からそれ、市街地へと入っていきます。平塚も茅ヶ崎や藤沢と並んで湘南を代表する市。どこも大きい街なので、どの町が真の湘南の代表か喧嘩になりそうですね。

平塚は特に七夕まつりで有名なんですが、その七夕祭りも昔からあったわけではなく、戦後の復興のために作ったお祭り。それでも、今では日本で最も有名な七夕まつりの1つになりました。

馬入の一里塚跡の碑
馬入の一里塚跡の碑
平塚駅前
駅前はアーケードになっています。
平塚駅
平塚駅。大きいですね!!

東海道をそれて、駅から少し北に行くとあるのが平塚八幡宮。平塚を代表する神社で、とても大きいです。

平塚八幡宮
平塚八幡宮

戻って東海道を進むと、平塚宿の江戸見附があります。ずいぶん駅前が開発されていましたが、実は平塚駅前は宿場の外だったんですね。平塚宿に入ると特に残っているようなものはないんですが、これは平塚が空襲でかなりのダメージを負ったからなんでしょうね。戦前は平塚にたくさんの軍需工場がありました。

平塚は日本橋から数えて7番目の宿場。本陣1, 脇本陣1, 旅籠は54, 人口2114人と結構大きな街だったようですが、次の大磯まではわずか3kmしか離れていません。これは平塚宿が近くの中原御殿のために設けられたからだと言われています。

東海道から少し北に行ったところに平塚の塚と呼ばれるところがありますが、それが平塚の名前の由来となったところで、桓武天皇の孫娘がこの地で亡くなり、墓を使うった所平らな墓になってしまったので、平塚と呼んだんだとか。

正面に大きな高麗山が見えてくると、宿場ももう終わりです。

平塚宿
終わりかと思ったらここから平塚宿の始まり。
平塚宿本陣跡
本陣跡。今では神奈川銀行になっています
平塚宿
平塚までくるとずいぶん建物は落ち着いてきました。
高麗山
高麗山
平塚の塚
西仲町公園。ここに平塚の名前の由来になった塚があります。

大磯へ

大磯は平塚からわずか3キロ。平塚を出て、再び国道1号線を進みます。目の前には大きな高麗山。湘南では湘南平と呼ばれます。

思い返してみると、ここまでほぼ東海道1号線を歩いていますね。関西では東海道の旧道が多く残るんですが、このあたりは旧道がほとんど残っていない感じです。

高麗山
高麗山がこんなに近くに。
高来神社
高来神社。ここから高麗山を登って、湘南平へと行けるようだ。
花水川
花水川を渡ります。

そんな東海道ですが、大磯に着く前にほんのわずか旧道となっている化粧坂を進みます。緩い坂ですが、松の木に覆われていて、街道らしい雰囲気があります。そういえば、鎌倉にも同じような名前の坂がありましたが…

坂の途中にはこの辺りに住んでいた蘇我兄弟の仇討に出てくる大磯の遊女、虎御前が毎日化粧に使っていたと言われる化粧井戸もあります。

歌川広重の東海道五十三次之内の『大磯』を見てみると、雨が降っているのですが、これは虎御前が愛人の蘇我十郎をしのんで流す雨のこと。海道ではかなり有名な人物だったんでしょうね。

化粧坂
化粧坂
化粧坂
化粧坂
化粧坂
化粧坂の一里塚跡も。
化粧井戸
虎御前が使っていたと言われる化粧井戸

大磯宿

JR線を地下道で渡り、この化粧坂を抜けると大磯。ということで今日の目的地、大磯です。この大磯までくると景色が一変し、どこか田舎らしい雰囲気があります。駅舎もこれまでのような、たくさんのバスが集まってくる都会の駅前ではなく、地方の駅って感じになりました。

大磯駅前
大磯駅前。結構田舎ですね。
大磯
海が見えます。でも、ここまではサーファーは来ないかな?
大磯
大磯本陣跡。

さて、今回も結構長かったですが、ほとんど国道だったのが少し残念。まだまだ国道ある気が続くのですが、頑張って歩きたいと思います。

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