能褒野神社【日本武尊の最期の地】
三重県の亀山市といえば、東海道が通り、歴史あふれる場所ですね、しかし、実はもっと重要な歴史があるんです。というのも、亀山は関東地域を制圧した日本武尊(ヤマトタケル)の最期の場所でもあります。
今ではその最期の地に日本武尊の墓、そして日本武尊を祀る能褒野神社が鎮座します。人気な場所というわけではないのですが、神話ファンなら絶対に訪れておきたい場所です。
能褒野神社
能褒野神社は関西本線井田川駅から徒歩20分程度のところ。亀山駅から名古屋方面へ1駅乗ったところにある無人駅です。駅舎も小さいんですが、駅の前には東海道が走ります。
能褒野神社は駅から歩いて20分ほど歩いて行ったところにあります。

日本武尊は関東を征服した後、倭姫からもらった草なぎの剣を置いたまま、伊吹山に神を討ちに行きますが、伊吹山で出会った白い狼に打ちのめされ、重傷を負ってしまいました。
故郷の奈良に帰るために歩き始めますが、三重県に入るとどんどん疲れて歩けなくなります。この能褒野まで来たあたりで故郷奈良に対する『国思歌』を歌うと、そのままこの亀山の能褒野の地で御隠れになりました。
能褒野に葬られましたが、日本武尊は墓より白鳥となって飛立ち、大和の琴弾原(奈良県御所)、そして旧市邑(大阪府羽曳野市)に降りたつと、さらに天高くへと飛び立っていったと言われています。


日本武尊の墓所というからどんなに大きいのだろうと思いましたが、実は神社自体はかなりこじんまりとした感じです
ただ、森にかこまれており、とても神聖な感じがするところですね。長めの参道を進むと、拝殿が見えてきます。本殿は日本武尊、そして妻の弟橘姫。そして日本武尊と吉備の建姫の子供である建貝児王を祀ります。


この神社から参道を通って、下って行けば日本武尊の墓があります。
日本武尊は皇族なのでいつも通り中に入ることはできませんが、りっぱなお墓です。4世紀後半のもので、全長は90m。羽曳野の大塚古墳と比べると少し小さめですが、それでもこの地域では最大の古墳です。

この能褒野は日本武尊の主要なお墓の1つということになりますが、特定されたのは1879年で、実は能褒野神社が建てられたのも1885年と比較的新しいです。
日本武尊の墓は前方子円墳になっており、この辺りでは前方後円墳自体非常に珍しいです。
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