大阪府

四天王寺庚申堂の庚申まいり

日本には昔から続く多くの伝統がありますが、中には残念なことになくなってしまった伝統もあります。例えば、庚申参りは2カ月に1度やってくる庚申の日に行われる行事でしたが、今ではあまり行われなくなってしまいました。そんな庚申参りがまだ四天王寺庚申堂で行われているので、早速行ってきました!

庚申とは?

その前に、庚申の日とは何でしょう。

昔の日本は、年代や日を表す際、十干と十二支を組み合わせたものを使って年代や日にち、月日を表してました。十二支とはもちろん、十二の動物のことでよく知られており、これに関しては説明が要りませんね。中国からやってきた考え方で、時間や方角もこの十二支を使って表すことができます。

一方、十干は陰陽五行説に基づいており、これは森羅万象の出来事が、火水土金木の5つの要素で作られているという考え方で、それぞれをさらに陽(yang。日本語ではe)と陰(yin。日本語ではto)に分けて10区分にします。例えば、火の陽だと「ひのえ」で、これが漢字1字で「丙」と表されます。

Chart showing the Jikkan calendar system

年代や日にちを表すとき、この十干と十二支を組み合わせて作ります。甲子(きのえ-ね)から乙丑(きのと-うし)、丙寅(ひのえ-とら)と続き、全部で60通りあります。そして、庚申とは「かのえ」と「さる」が組み合わされてできており、57番目に出てきます。十干十二支は60日周期なので、庚申60日に1度やってきます。つまり、庚申まいりは2か月に1度のまつりということになります。

甲子園の「甲子」、戊辰戦争の「戊辰」なんかも、この十干と十二支の組み合わせた表記から来ています。

といっても、いつの日が庚申かわからないですよね。なので、そういう時には四天王寺の庚申参りの日にちを確認してください。

※四天王寺庚申堂の庚申参りは庚申の日とその前日に行われます

庚申参り

古来から庚申の日は不思議な日だと考えられてきました。

庚申の日、人のお腹の中にいる三尸の虫が寝ている間に人の体から抜け出し、その人がおこなった悪事を天帝(宇宙を支配する神)に伝えると信じられていたのです。

そして、天帝に伝わった悪事に対しては罰が与えられ、寿命が縮められるのです。そのため、人は三尸の虫で出て行かないように、寝ずに宴会をしたりして夜を明かしました。これが庚申待と呼ばれる行事です。この庚申待は広く実践されていた行事でした。

またみんなで集まって夜を明かすので、この輪のことを庚申講と呼びました。

庚申塔
庚申塔。庚申講を3年18回続けた記念に建立されます。

この庚申待がいつのまにか仏教とつながり、人々は三尸の虫を食べると言われた青面金剛がいるお寺に行くようになりました。また、この青面金剛は猿を遣いとしているので、「見ざる聞かざる言わざる」の像を作るようになりました。

見ざる聞かざる言わざる
見ざる聞かざる言わざる。かわいいですね。

今では庚申を信じている人はあまりいないと思うのですが、庚申塔などが残っているところもあり、関西の一部では庚申の日に庚申参りが行われたりします。

四天王寺庚申堂

四天王寺庚申堂はすこしわかりにくい位置にあります。名称は四天王寺庚申堂ですが、四天王寺の境内にはなく、四天王寺から歩いて5分程度の場所にあります。

天王寺駅から四天王寺の方向に向かって歩くと看板が出ているので、それに従って歩いていきます。

庚申堂への看板
庚申堂へ。
四天王寺庚申堂の山門
四天王寺庚申堂。結構意外なところにあります。

私たちが行ったのは平日のお昼前だったので、ほとんど人はいませんでした。

もともとの本堂は第二次世界大戦で焼け落ちてしまいました。そのため、1970年で行われた万博の休憩所「法輪閣」を再利用して本堂としています。もちろん、中には青面金剛が祀られています。

猿は青面金剛の遣い。ここ四天王寺庚申堂ではこの猿を背中に当て、猿加持を行ってくれます。これで今日の庚申の日はなんとか乗り切れそうです!!

猿加持
猿加持。猿の像(?)を背中に押しあててくれます。

また庚申と言えば、庚申こんにゃく。理由は定かではないのですが、お腹の中の三尸の虫はこんにゃくが大の苦手だそうで。なので、ここではこんにゃくを食べて虫を退治します。

大切なことですが、こんにゃくを食べる時には必ず北を向いて食べ、そして食べているときに、しゃべってはいけません。

こんにゃく屋
こんにゃく屋さん。ずいぶん大きいです。
庚申こんにゃく
「これ結構うまいな」 あ、しゃべっちゃった…

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