生野区を全部歩く(前半)【桃谷・勝山・田島】
生野区と言えば、鶴橋の東に広がる区。外国人の比率が大阪市内では最も高い地域で、コリアンタウンでも有名なところ。そんな生野区もすべて歩いてみると、再開発の波に染まっていない地区がたくさんあり、昔ながらの景色がたくさん残っています。
生野区を全部歩く ルート
今回のルートは鶴橋駅を出発し、桃谷へ。そこから東へ行き、生野区役所。そこから南へ行き、勝山、そして生野へ。さらに生野商店街を抜けて、東へ行き、南巽。ここまでが前半。
後半は巽から中高野街道を通って、北へ向かい、小路へ。そして、そこから西へと向かい、今里や猪飼野を通って、鶴橋駅に戻ってきます。
距離は合計で17km。坂もないので、歩きやすい区間です。
生野区を全部歩く (前半)
生野区の散歩のスタートは鶴橋駅から。鶴橋駅は降りると焼肉のにおいでしょうか、なんともおいしそうな香りがします。そのまま鶴橋商店街へと行ってしまいそうですが、商店街が広がるのは主に北側の東成区。今回は生野区なので、商店街へは行きません。
鶴橋駅からは環状線に沿って、猫間川筋を桃谷へと向かいます。桃谷まではおよそ15分ほど。環状線は隣の駅との距離がすごく短いです。
猫間川筋はちょうど猫間川が流れていたところなんですが、1957年に川は完全に暗渠化されてしまいましたが、地下を流れています。猫間川っていうのも何だか変わった名前ですが、もともとは高麗川で、これが訛って猫間川に変わったと言われています。



桃谷駅から続くのが桃谷本通商店街。歩いている人は多いものの、閉まっているお店も結構ありますね。
桃谷商店街と言えば、桃谷いかやき屋。関東ではイカ焼きというと、イカの姿焼きですが、関西だと小麦粉の生地にイカを混ぜて焼いたもの、まるでお好み焼きのような感じです。そんなイカ焼きの元祖ともいえるお店が、この桃谷イカ焼き屋なんですが、久しぶりに来たら閉まっていました… 閉店してしまったみたい。ただ、本店は閉まっても、天保山とかではまだやっているみたいです。



桃谷商店街をちょうど出たところで、桑津街道や鶴橋街道といった街道が通り、記憶の中の日本がたたずんでいるような場所。街道沿いの道や建物はなんとも昭和らしい感じがあります。
その中に『つるの橋跡』があります。つるの橋は日本の最古の橋とも言われており、猪甘津の橋のこと。日本書紀では仁徳天皇の14年に「猪甘の津に橋為(わた)す。すなわち其の処を号(なづ)けて、小橋という」とあり、この小橋が猪甘津の橋のこと。この辺りには鶴の飛来も多く、のちに鶴橋と呼ばれるようになりました。
仁徳天皇の頃には、この辺りに小橋の江という入り江があって、今とはずいぶん違う感じだったんですね。



そのまま鶴橋街道に沿って行くと、街道は大きくカーブしています。これは昔、この街道を脇を流れていた旧平野川が大きく蛇行していたからなんだとか。街道沿いの道もノスタルジックな感じです。
鶴橋街道は俊徳街道と交差した後、御勝山古墳へ。俊徳街道は四天王寺から信貴山までつながる街道で、俊徳(弱法師)ゆかりの道です。




御勝山古墳・勝山
御勝山古墳まで来ました。徳川が大阪の陣でこの御勝山古墳に陣を張り、ここで戦いの宴を催したことから、御勝山と呼ばれています。
御勝山古墳は周囲を柵に囲まれており、墳丘に近づくことができません。円墳のように見えるんですが、実は古墳時代中期の5世紀前半に造られた前方後円墳。実は前方部分は勝山通や公園になってしまい、失われてしまっているんですよね。


古墳の前には、勝山通が東西に貫いています。勝山通は生野区のメインの道路の1つで、この御勝山古墳のすぐ近くの勝山通沿いに生野区役所があります。駅からは少し遠いところにあることや、生野区だとバスの本数もそれほどないので、結構アクセスしにくい区役所になるんでしょうか。


勝山通を渡り、さらに南へ行くと勝山と呼ばれるところ。この勝山にあるのが舎利尊勝寺。舎利尊勝寺に伝わるのが、以下の生野長者のエピソードです。
『昔、生野長者の子供で話さない子がいたが、聖徳太子がその子が前世で仏舎利を飲んだことが原因だと言い当てた。太子はその子に舎利を返すように命じたところ、子は3つの舎利を吐き出したという。その舎利を太子は四天王寺、法隆寺そして舎利尊勝寺に納めたと言われている。』
この生野長者こそ生野区の「生野」の名前の由来にもなっているのですが、この人物が具体的にどういった人物のなのかわからないよう。なんとも不思議な人物です。


ここから西に向かい、疎開道路を歩いて、生野商店街へ。疎開道路は生野区を南北に貫く道路で、戦時中に建物疎開によって造られた道路。いわゆるチェーン店ではなく、昔からのお店が立ち並ぶ道路で、なんともローカル感があります。


生野商店街
生野商店街は大阪で最も大きな商店街の1つ。源ヶ橋の交差点から始まり、生野本通商店街、生野中央商店街、生野本通センター街、ベルロード中銀座商店街、生野銀座商店街の5つの商店街がつながり、生野八阪神社まで。およそ1kmのアーケード商店街です。




ただ、現在は時間がとまったショッピングストリートいう感じで、多くのお店がシャッターを下ろしていました。ただ、なぜか環状線から離れれれば離れるほど、奥に行けば行くほど、営業しているお店が増えてきます。




生野商店街を終わると、またレトロな感じの通りを歩き、平野川を越えて、田島へ。平野川は今でこそ細い川ですが、大和川がつけ変わるまではかなり大きな川で、柏原船と呼ばれる船が柏原と大阪の間を運行していました。
たびたび洪水を引き起こす川だったようで、流路が直線化する治水工事が行われ、今のような形になりました。


田島
田島までくると、住宅街の中にある工場も目立ってきました。中にはわざわざ工場の稼働時間を張り出しているところもありましたが、やはり騒音の苦情とかが多かったりするんでしょうか。
この田島というと、最も有名なのが田島神社と眼鏡レンズ発祥の地。田島に石田太次郎という人物が丹波で研磨の技術を習得し、この田島でメガネレンズの製造を始めました。昔はたくさんあった眼鏡レンズの工場も、今ではほとんどゼロに。ガラスの眼鏡レンズを生産していた田島は、のちに出てきたプラスチック製の安価なレンズには対応できなかったようです。



田島を出ると、さらに南へ向かいます。歴史資源が散在する市街地といった感じでしょうか。いたるところに面白い史跡があったり、下町のような雰囲気の良い通りがあったりします。



南巽
田島から歩いて15分ほど来ると、南巽。大阪城から見て、辰巳の方向にあるから、巽と呼ばれたのが地名の由来です。
南巽には地下鉄千日前の終点の駅、南巽駅があります。ここからなんばまでは15分ほどですからね、とても便利な場所です。付近には平野区の境もあり、ここからJR平野駅まではおよそ10分ほどといった感じです。
駅の周りはそれなりに大きなマンションもありますが、まだまだこれからって感じでしょうか。いつか、この下町の雰囲気も開発されてなくなるときが来るんでしょうか。

次回はこの巽周辺を散策した後、北へと向かい、鶴橋駅へと帰ります!!
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