大阪市・大正区を全部歩く(前編)【三軒家・平尾・恩加島】
大阪の大正区は大阪湾沿いに広がる大阪市の区の1つ。人口の4人に1人が沖縄をルーツに持つとも言われていたり、ベイエリアの工場群がとてもかっこよかったり、一言では語りつくせないようなユニークな区です。そんな大正区を歩いて一周します。
歩行ルート
今回は大正橋をスタートし、前半は大正通りの東側を通って、三軒家、平尾、恩加島。そして、木津川運河を越えて、鶴町まで向かいます。
後半は鶴町からスタートし、大正区の西側を歩いて泉尾を通り、大正橋へと折り返します(後半のポストはこちら)。
ルートはこちらから(google mapで開きます。)
大正を歩く 1
大正橋
大正区の散策のスタート地点となるのは、大正駅のすぐそばにある大正橋。駅の北にはちょうど区の名前の由来にもなった大正橋が近くに架かり、浪速区と大正区をつないでいます。大正時代にかけられたこの橋は、当時は日本最大のアーチ橋だったのですが、初代は付け替えられて、今のは2代目。欄干にはベートーヴェンの第9の楽譜がデザインされています。


大正駅は大正区の北の北に位置しており、大正区のほぼ全域にわたって、鉄道が通っていません。なので、区内はバス移動のみ。少し不便ですが、バスが10分に一本程度来ることや、大阪駅や難波駅までもバス1本で行けることを考えると、それほど不便ではありません。
大正駅は駅の周りには大正橋商店街。そして、ガード下にはいろんな飲食店があります。大正がいらしく、沖縄料理の飲食店も。そして大正と言えば、大阪ドームですが、大阪ドームがあるのは西区なんですよね。



三軒家から昭和山へ
大正駅からは大正区を南に向かいます。駅すぐ南の三軒家の交差点から、まずは大正区の西側を歩いて南へと向かい、小林、平尾を通って恩加島へと向かいます。
三軒家と言えば、もともとは勘助島と呼ばれていたところで、この三軒家の新田開発を行った人物こそ木津勘助。木津勘助は他にも木津川の開削など、大阪の発展に貢献した人物です。寛永の飢饉の際には、お蔵破りを決行し、住民にコメを分け与えたという伝説も残りますが、これはおそらく後から作られた創作なんでしょう。
ちなみに、大正区の多くは江戸時代の新田開発によってできたところが多く、木津勘助以外にも多くの人がこの大阪の河口部エリアの開発に携わってきました。そのため、もとは海だったところも多く、区全体的に標高がとても低いんですよね。


また、この三軒家にある三軒家公園は近代紡績工業発祥の地。この地にあった大阪紡績会社が1838年にイギリスから日本初の蒸気紡績機を購入し、大規模に生産を行いました。それがきっかけで大阪は日本一の紡績都市となり、東洋のマンチェスターとも呼ばれました。




さらに南へと進み、阪神高速の高架を渡れば千島です。この千島では、千島ガーデンモールがあり、その前には巨大な千島団地。このガーデンモールはもともと栗本鐵工所の創業の地でした。
モールにはスーパー以外にもいろんなお店があってとっても便利そうですが、年齢層は結構高めな感じでしょうか。結構外国人の客層が目立つ感じでした。


そして、この千島がおそらく大正区の中心地とも呼べる場所で、この千島に警察署、消防署、区役所、市民ホールなどがあります。
この辺りはもともと貯木場や製材工場があったところで、大正時代のあたりに、紡績以外にも貯木業が大正では栄えていました。そんな貯木場も地盤沈下の影響があって、住之江に移転。そのあと1969年の千島計画で貯木場は埋め立てられ、この千島に様々な都市機能が集められることになりました。
全ての公共施設が一か所に集まっているので便利な気はしますが、千島が大正駅から徒歩20分ほどと結構遠いので、住民からすると利便性はどうなんでしょうね。

区役所の裏に行くと、こんもりとした丘がありますが、これが昭和山。昭和に行われた万博の際に出た土砂を積んでできた人口の山です。標高は33mですが、これでも大阪市内では2番目に高い山です。頂上からの見晴らしもなかなかいい感じです。
山の頂上までは歩いてわずか5分ほどですが、山の斜面には四季折々の花が植えられ、とてもきれい。特につつじがきれいということから、大正区の花はつつじになりました。
周囲は千島公園となっていますが、この千島公園が大正区で一番大きい公園。この公園では毎年恒例のエイサー祭りなど、様々なイベントが行われています。



小林・平尾
千島からさらに南へ行くと、桜の名所の小林公園。そして平尾です。平尾は沖縄関連の建物がたくさんあるところで、紡績業や木材業の仕事を求め大正にやってきた沖縄の人が住んだのが平尾。沖縄の歌のライブ演奏が楽しめる民謡居酒屋などもあります。
そんな平尾にはサンクス平尾(平尾本通商店街)というおよそ250mほどの商店街があります。ただ、今ではほとんどが閉まっていて、人通りはほぼ全くない状態。唯一開いているお店の中には沢志商店のような沖縄関連のお店があって、沖縄の食べ物などを購入できるのがなんとも救いです。
商店街から少し離れたところにも沖縄関連のお店があったり、シーサーを掲げている家もたくさんあります。




平尾の南には平尾亥開公園があって、大阪俘虜収容所の跡地。この収容所には第一次世界大戦でのドイツ人俘虜を収容していたのですが、俘虜はやることがなくて、音楽演奏なども行われていたそう。
収容されていた人物の1人がヘルマン・ハンゼンで、のちに彼が徳島の収容所で、アジアで初めてベートーヴェンの第9を演奏したんだとか。だから、大正橋には第9の音符があり、大阪フィルはあんなにも第9を演奏しているんでしょうね。

南恩加島・船町
南恩加島までくると、工場もだいぶ増えてきました。この南恩加島は大正区の南端で大正駅からはバスで15分ほど。結構遠いということもあるからでしょうか、北の千島や三軒家のあたりと比べると少し活気がなくなってきた気がします。
この地を開発した岡島嘉平次が恩加島の名前の由来です。



南恩加島には大運橋のバス停付近に商店街がありますが、ほとんど全部閉まっていました。大阪もこういう商店街がずいぶん増えてきている気がします。



南恩加島までくると、大正通りは西へと曲がり、鶴町へ。そして、大正通りを離れて直進し、さらに南へ向かい、木津川運河を大船橋で渡ると、船町です。船町は民家が全くなく、工場のみの地区。工場らしい風景が一部の人にはとても好かれるんでしょう。古くは映画「ブラックレイン」のロケ地にもなりました。
この船町には、1929年から伊丹空港に移転する1939年まで、初の公共飛行場として木津川飛行場がありました。空港があったと思われるところには中山製鋼所と新木津川大橋がかかっています。昔はこのあたりにはずいぶん違う景色が広がっていたんでしょうね。



この船町から鶴町へは無料の渡船がかかっています。大阪では大きな川の河口に造船所などが多くあるため、船が通行できるように橋がかなり高いところに架かっています。上まで上がると結構不便なので、今でも多くの渡し船があるんですよね。


鶴町からは後半に続きます!
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