関宿【東海道の宿場町】

日本で最も有名な街道である東海道。この東海道を歩いていても大半は住宅地になっているのですが、三重県と滋賀県の境界の近くにある亀山市の宿場『関宿』では、街道沿いの古い町並みを見ることができます。

関宿

関宿は東海道47番目の宿場。JR関西本線の関駅から歩いて10分ぐらいのところです。

愛発関や不破関と並んで古代から重要な関所であった鈴鹿関が近いことから、その名前に由来しています。宿場町なので関宿とも呼ばれます。

関宿は西の追分から東の追分まで1.8km。道の両側に歴史的な街並みが広がります。東海道の中では唯一ここだけが重要伝統的建造物群保存地域に指定されており、東海道の宿場町らしい雰囲気を味わうことができます。

歩いてみると、本当にタイムスリップしたかのようです。

関宿。桜がとってもきれいです。
眺関亭から見た眺め。向こうに鈴鹿山脈が見えています。

この関宿には街道沿いに江戸後期から明治に建てられた200以上の建物があります。1843年の記録では家数は632、本陣2、脇本陣2とあります。宿場町としては結構大きいと言えるでしょうか。

伊勢別街道との追分となる西の追分を過ぎて、東海道沿いに歩いていきます。伊勢別街道はここから津の江戸橋へと続く道ですが、伊勢参りの人もよく通ったんでしょうね。

宿場町としてとってもきれいな景観を維持しているのですが、津や四日市からはかなり遠いこともあって、人は少なめ。さらにお土産屋などの観光客目当ての場所もあんまりありません。住民の人が普段から暮らしているごく自然な雰囲気な感じです。

だから、こうやって景観がしっか維持できるんでしょうね。

西の追分。道を下ると伊勢別街道です。
他の宿場と全然違う!!
おそらく新しい家も景観に配慮している感じですね。
本陣跡。関には本陣が2つありました

関と言えば、山車ですね!!江戸時代から続く関の曳山は、今では曳山の数こそ減ってしまったものの、この狭い街道をひしめきながら曳行します。

毎年の7月の下旬ごろに行われる関宿祇園夏まつりで見ることができます。

曳山の蔵。大きな蔵です。曳山もかなり大きいんでしょうね!

この関宿の家は大半が現在でも人が住んでいる民家なので、入ったりすることはできません。残念。そんな中でも、まちなみ資料館や玉屋歴史資料館は実際に入ることができます。

まちなみ資料館は昔の民家を展示した資料館。玉屋歴史資料館は「関で泊まるならば鶴屋か玉屋か。まだも泊まるなら会津屋か」と言われたほど有名な旅籠で、内部には当時の旅籠の様子を展示しています。

どちらもそんなに大きな建物には見えないんですが、これは町家建築の特徴。京町家と同じでどの建物も奥行きがかなりあり、入ってみると建物はずいぶん大きいことがわかります。

ちなみに両方とも行きましたが、両方とも大満足。玉屋では一番奥の蔵には歌川広重の浮世絵の原本がありました。街道好きには欠かせない立ち寄りスポットです。

玉屋歴史資料館
まちなみ資料館
それぞれの建物は入ってみると細長い感じ。建物を抜けるとさらに奥に蔵があったりします。
旅籠で有名だった鶴屋。公開されていません。破風がいい感じ!!

さて、まだまだ面白い町屋建築は続きます。

本当に街道歩きが好きな人には堪らないスポットです。町家の建築も本当にユニークです。これまで街道を歩いていろんな町家を見てきたからこそ、面白さがとてもよくわかります。

妻入りの住宅(屋根の三角形を見せる住宅)は関では珍しいですね。
町家によくある「ばったり」がある家もいくつかあります。(左)
町家建築ってこういう細かい意匠が本当にいいんですよね。
350年前からの銘菓「関の戸」を売るお店(左)。右は郵便局です。

さて、あっという間に関宿も東の終わりです。この辺りには旅籠屋として有名で今ではレストランになっている会津屋や関地蔵院があったりして、関宿の中心となるような位置でしょうか。

関地蔵院は714年に行基によって建てられた古刹。本尊は地蔵菩薩坐像です。

ちなみに、この関の有名な話と言えば、関の小万ですね。女性にして厳しい修行を行い、見事父の仇をとったんですが、そんな小万はこの会津屋育ち。墓はこの地蔵院から東海道をもう少し進んだ福蔵寺にあります。

関地蔵院(左)と会津屋(右)
福蔵寺。大きなお寺です。

一番東まで来ると東の追分。ここで奈良方面へ向かう大和街道と分岐します。このまま東海道を行けば、鈴鹿山脈をこえる鈴鹿峠。そして滋賀県の土山へと向かいます。

鈴鹿峠を越えれば、京都までもうすぐって感じです。

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