華厳寺【西国三十三観音霊場・満願】

さて、西国三十三箇所で満願を目指して本当にいろんなところに行きました。そして、一番最後に行くのが、華厳寺です。西国三十三箇所の三十三番の札所で、関西からは少し離れた岐阜県にあります。

華厳寺

大垣駅から養老鉄道で揖斐の駅へ、さらにそこからバスに乗って15分。谷汲口のバス停に着きます。樽見鉄道でもここに来れるので、アクセスはそこまで悪くないです。

西国三十三観音霊場の中でも岐阜県にあるのはこの華厳寺のみ。大阪からだとおよそ来るだけで3~4時間程度かかります。

さて、バス停からは華厳寺までは長い商店街を歩いて15分ほどかかります。商店街には聖地巡礼グッズストアが多くあり、2回目の聖地巡礼に備えて、買う人も多いんでしょうね。

歩きながら見てると、あの聖地はああだったなあとか、なんとも感慨深くなって来ます。

樽見鉄道。1両編成です。
参道: 参道の脇には桜がいっぱい植えられています。春に来ると本当にきれいなんでしょうね。
おっきいですね!!

華厳寺ですが、他のお寺同様、なかなかユニークな寺伝があります。

昔、会津の住人である大口大領が地元の文殊堂にこもり、苦行の末に榎の霊木を得ました。彼はそれを持って京都に来て、仏師に十一面観音を掘らせました。そして、大領はこの仏像をもって、会津に帰ろうとしたが、途中の美濃赤坂(大垣)あたりで、像が急に重くなり、「ここから北に行き、そこにとどまり衆生を救おうと思う」といい谷汲にきて、ぴたりとも動かなってしまったということです。

大領はその山中で修行していた豊然の助けを借り、798年に堂宇を建て、この観音像を祀りました。堂を建てる時に山中から油が湧き、これを松明に用いたことから、谷汲という地名になったと言われています。

この日は結構ひっそりしていました。
豊川稲荷の分院。ここだともう中部地方っていうべきなんでしょうかね。
おもしろい仏像(?)ですね。

さて、階段を上がると見えてくるのが本堂。現在の本堂は1879年に再建されたもので、本堂に祀られているのは十一面観音像。普段は秘仏なので、直接見ることはできなません。非常に厳重な秘仏であり、写真も公開したこともないようです。以前に開帳したのは2009年、その前は1955年だそうですが、なかなか見れそうにはなさそうです。

本堂
精進落としの鯉。昔の巡礼者はこの鯉に触れ、精進生活から解放されました。

華厳寺の御朱印は少し特殊。3つで1セットとなっており、それぞれ、現世を表す本堂、過去世を表す満願堂、そして未来世を表す笈摺(おいずる)堂です。1つだけもらうことができないんですね。

でも、そうやって過去から未来永劫、西国観音様のご利益が続くといいですね。

その笈摺堂は本堂の裏にあって、満願を迎えた人が笈摺(巡礼の時に羽織る衣)などを奉納します。西国三十三観音を始めた花山天皇もこの寺に衣や杖などを奉納したと伝えられているんですよね。

さらにあがると満願堂もあります。

これで満願です。めでたく三十三のお寺、すべてに行くことができました。

満願堂。無事に満願できました。ありがとうございます。
笈摺堂。笈摺などはここに奉納します。
満願堂から。見晴らしがいい山の中にあります。

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