岐阜・名古屋

岡崎城【徳川家康生誕の地】

 愛知県のほぼ真ん中に位置する、岡崎。八丁味噌の誕生の地で、古くから栄えるこの歴史的な街の中心部には、家康の生誕地として知られる岡崎城がそびえています。

岡崎城

大阪からかなり長いこと電車に乗ってようやく岡崎です。かなりスピードが速い新快速を乗り継いで来ることができるので、意外と思ったよりも早く着いた気がします。

ただ、JRの岡崎駅から岡崎城までは少し遠いので、愛知環状鉄道の中岡崎駅か名鉄の東岡崎駅が便利です。結局、名鉄にしましたが。やっぱり愛知では名鉄ですよね。

岡崎駅前の家康の像。愛知の人は家康好きですよねぇ!!

ということで、名鉄の東岡崎駅を降りて、乙川沿いに歩き岡崎城を目指します。駅から歩いて15分ほどで岡崎城です。

岡崎は東海道の38番目の宿場として古くから栄えた街で、今でもとても活気がありますね!!今東海道を制覇しているので、またいつか岡崎に来る日が来ると思います。

それにしても、愛知には名古屋城、清州城、そして岡崎城とお城がいっぱいあってうらやましいですね。

竹千代も幼いころ、ここを歩いたんでしょうか。
乙川に沿って、石垣が一部残っています。全長400mもあり、石垣としては日本最大級。
大手門。もともとここにあったわけではないみたい。

岡崎城は室町時代西郷氏によって15世紀最初に築城されたのが始まり。しかし応仁の乱で西郷氏が城を追われると、家康の祖父である松平清康が城を現在地へと移転し、岡崎城と名を改め、城主となります。

そんな岡崎城で竹千代は1542年に生まれ、のちの徳川家康となりました。

当時、岡崎城のある三河は今川氏の支配下にあり、家康も今川氏の人質となりますが、今川氏が桶狭間の戦いで信長によって滅ぼされると岡崎城は独立。

そして、1590年に浜松城に本拠を移すまでの間、家康はこの岡崎城を本拠地としていました。家康が浜松に移ると息子の信康が城主に、さらに秀吉が日本を統治し、家康が関東を任されると秀吉の家臣である田中吉政が城主となりました。

三方ヶ原の戦で負けた家康の像。くやしそうな顔をしてますね~!!
本多忠勝。徳川四天王の一人で、トンボ斬りを抱えています。
この歴史博物館も大満足でした。

公園内を横切っていろいろ散策してみると、築城時の堀や石垣が残されており、なかなか楽しめることができます。時間があると、城の周りを一周してみるといいのかも。結構大きいのが意外です。『桜の名所100選』にもなっているので、きっとかなり桜がきれいなんでしょうね。

中でも驚いたのが家康の産湯。まだ出ているのが不思議ですが、これは何かご利益がありそうなお水です。

家康の産湯も沸いています。残念ながら水は飲めませんが。
いろんなところに竹千代が隠れていますね。
裏手まで結構こだわって作られています。

岡崎城の最も有名な石垣がこの清海堀と呼ばれるこの堀。

清海とはこの岡崎城を作った西郷頼嗣(青海入道と呼ばれていた)にちなんで名づけられた堀で、堀が大きく曲がっています。こういった丸い堀はなかなか珍しいんだそうです。たしかに、もうお城もかなり行っているような気がしますが、こんな曲がったものは見たことがないですね。そしてその堀に沿って作られた石垣もなかなか立派です。

青海堀以外にも、この岡崎城の石垣はなかなか魅力的です。

青海堀
ここの堀も豪快ですごいなぁ!!
岡崎城は石垣が特にかっこいいですね。

天守閣

お城の周りをぐるぐると歩き、ようやく天守閣にきました。岡崎城は平山城なので、若干ですが坂を上ってこなければいけませんでした。

岡崎城の天守閣は、明治時代になって石垣を残して城は取り壊されてしまいました。現在の天守閣は1959年に復元されたもの。天守閣が整備されたのは田中吉政の頃のなので、家康が過ごした天守閣はこんな感じではなかったんでしょうね。

城の隣には龍城神社。家康と本多忠勝を祀ります

ちなみに、天守閣のあたりの石垣が最も古いもので、ここだけ自然石を積み上げた野面積みと言われる古いスタイルの石垣になっています。

なお、天守閣の内部は博物館のようになっており、岡崎城に関連する資料などが展示されています。復元された天守閣によくありがちな感じですね。

このあたりの石垣が最も古いみたいだ。
天守閣。かっこいいですね!ちょっと木が邪魔だけど…
天守閣から見た岡崎の町並み

最上階の5階から見た岡崎の町並みはなかなかきれいですよ。岡崎の辺りは平野になっているので、名古屋や豊田の方まで本当によく見えます。

こんなに平野が多いことこそが、三河や尾張の武将が活躍できた理由なんでしょう。

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