中山道を歩く: 彦根 (高宮宿)~近江八幡 (武佐宿)

中山道は東京と京都をつなぐ街道で、五街道のうちの1つです。今回はそんな中山道を彦根の高宮宿から近江八幡の武佐宿までを歩きます。2okm程度の道のりで、滋賀の歴史を十分に楽しむことができるコースです。

中山道

ということで、今回は彦根からのスタート。

中山道は彦根の駅のすぐ近くにあるのではなく、近江鉄道で数駅乗った高宮の駅付近を通ります。高宮駅のすぐ近くに中山道があり、高宮宿があります。

高宮宿

高宮宿は東京から数えて64番目の宿場。本陣1、脇本陣2です。人口は3560人とかなり多かったようで、中山道でも埼玉の本庄宿に次ぐ大きさでした。

また、麻の生産が盛んで、高宮上布と呼ばれる麻織物がたくさん売られていたようです。

今でも街道沿いには古い町並みが一部残っています。すぐ近くに国道8号線が走っているのですが、それの裏道になっているようで交通量が多く、結構危険です。道路を渡るときは十分気を付ける必要があります。

高宮の町並み
滋賀県立大の学生が運営する『座・楽庵』
高宮神社

そんな高宮宿に立つのは高さ11mの巨大な鳥居。多賀大社の一宮の鳥居です。ずいぶん前に行きましたが、なかなか大きな神社で、伊勢参りと合わせて人気の神社でした。糸切餅が有名なんですよね。

ここから大社まで4kmほどの参道なので、中山道から行くのは少し遠いですね。

多賀大社の大きな鳥居です。

高宮宿はまだまだ続き、本陣跡を過ぎて無賃橋で犬神川を渡るとようやく終わりです。

芭蕉の紙子塚(右)
円照寺
本陣跡。門だけが残っているみたいです。
無賃橋。近くの豪商らが作った橋で、通行量がいらなかったんだとか。

豊郷町、愛荘町を経て、愛知川宿へ

ということで、犬上川を渡ると豊郷町。田畑が出てきて、少し田舎な感じになってきました。豊郷町は滋賀県で最も小さな自治体なんですよね。中山道も歩いて1時間ほどで豊郷町は抜けてしまいます。

とはいえ、見どころがとても多い街で、ゆっくり見ていると2時間程度はかかるのかも。

舟板壁。船の板を壁に使う近江独特の壁です。
のんびりした道です。
『中山道』の碑があります。
枝豆かな??大きな畑です。
スズムシバナ。絶滅危惧種にもなっている花だ!!

さて豊郷町の有名なものと言えば、豊郷小学校ですね。昔は豊郷小学校の建て変えが問題になり、連日報道で取り上げられていましたよね。

いろんなゴタゴタがあったようですが、無事に建物は保存され、さらには『けいおん』の桜高校のモデルにもなったことから、全国から人が集まる場所になりました。

豊郷小学校。建物はあのメレルウォーリズのもの。

豊郷小学校を出て、一里塚を過ぎると、次はなんと伊藤忠の創業者伊藤忠兵衛氏の生家も。豊郷出身の近江商人だったんですね。

伊藤忠は関西五綿のメンバーなので、忠兵衛さんは大阪人かと思っていました。

伊藤忠兵衛顕彰碑
左が伊藤忠兵衛の生家。時間があるときにまた来たい。

そしてなんと極めつけが千樹寺。ただの小さなお寺に見えますが、実は江州音頭の発祥地。あの江州音頭ですね!!

なんでも西沢寅吉という人物が千樹寺の再建記念の法要で踊りを披露したのが、江州音頭の始まりなんだとか。江州音頭は大阪でも寄席などで大人気になり、今でも大阪は盆踊りは河内音頭ではなく江州音頭ってところも多いです。

江州音頭だ!
千樹寺はそんなに大きなお寺ではないんですよね。
江州音頭の発祥地!! 街道にはこんなユニークな場所がたまにあるんですよね。

興奮冷めやらぬうちに宇曽川を渡って愛荘町です。田舎の町並みが続きます。

宇曽川
田舎な感じの道を歩きます。

愛知川宿

さて、愛知川宿に来ました。読み方は『あいちがわ』ではなく、『えちがわ』。本陣1、脇本陣1,人口は929人と中規模な感じでしょうか。

今では近くに近江鉄道が走るので、アクセスも悪くないです。

愛知川宿です。
郡分け地蔵。昔はここから宿場町の始まりでした。

古い建物はあまり多くは残っていないのですが、なかなか雰囲気はあると思います。

愛知川ふれあい本陣。本陣跡には旧近江銀行愛知川支店があります。
愛知川の伝統工芸、びん細工手まり。瓶の中に手まりが入っているんですよね。
愛知川宿の町並み
竹平楼。1758年の老舗。

愛知川にかかる御幸橋を渡り、大きな灯籠がたつ道を進んでいき、五箇荘中央公園のわきを進みます。

愛知川
街道と言えば、やっぱり灯篭です。
御代参街道との分岐。伊勢に至る道です。
五箇荘中央公園。この日はお祭りをやってるみたいでした。

五箇荘・金堂地区

この辺りで寄り道しておきたいのが五箇荘の金堂地区。五箇荘は近江商人の発祥の地として、江戸から昭和後期にかけてたくさんの商人を産み出してきましたが、この五箇荘の、特に金堂地区にはそういった商人たちの大きなお屋敷が残っており、重要伝統的建造物群保存地域に指定されています。

中山道からは20分程度逸れる必要があるのですが、せっかくだから行っておきたいですね!

五箇荘の町並み
側溝で錦鯉を飼うリッチぷり
きれいな街並みが残ります

武佐宿へ

五箇荘をすぎてどんどん歩いていきます。少しだけ8号線を歩きますが、また旧道へとすぐにそれていきます。田舎の景色がなんとも美しいところです。

途中、清水鼻の名水と呼ばれる湧き水がありました。

田舎な感じです。
石塚一里塚跡
てんびんの里。昔の近江商人もこんな感じで天秤を抱えていたんでしょうね。
清水鼻の名水。そのまま飲めます。なかなかおいしい水です。

このあたりでは右手に標高432mで山頂付近に観音寺や観音正寺をもつ繖山、そして左には箕作山がそびえ、その間を国道8号線、中山道と新幹線が通ります。

繖山を登ったのもいい思い出です。麓には畑が広がり、本当にのどかな感じです。

正面に見えるのが繖山

中山道はここから老蘇の森に囲まれた奥石神社の辺りを通り、武佐宿へと向かいます。

奥石神社。本殿は信長の寄進とも言われる。
この辺りは安土町なんですよね。安土城からは少し離れたところを行くのですが。
この辺りは大きな畑が多いです。

武佐宿

さて、牟佐神社の前を通ってとうとう武佐宿。本陣1, 脇本陣1, 人口は500人を少し過ぎていた程度だったので、中規模程度の宿場でしょうか。

今日のゴールの武佐宿にようやく到着です。

牟佐神社
旧八幡警察署武佐分署庁舎。1886年のもの
ここで八風街道と分岐。東海道の水口方面へとつながります。
愛宕常夜灯だ

ここも若干宿場の雰囲気が残っているって感じでしょうか。

武佐宿本陣の下川家
武佐宿脇本陣跡

今回もみどころがとても多いコースで、大満足でした。いろいろと寄り道していたらかなり時間がかかってしまい、高宮を出て7時間半でようやく武佐駅到着です。

中山道は武佐駅の手前を通っていくので便利です。この武佐駅から近江鉄道を一駅乗れば近江八幡です。

近江八幡と言えば、八幡城などいろいろあるのですが、今回は時間がないのでまた別の時に来たいですね。

さて、帰ります!!

次はこの武佐から草津までを歩きます。

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