安土城【織田信長の城】
戦国時代でもっとも有名な武将の一人が織田信長。彼は愛知県から岐阜、そして近江と支配地域を拡大し、とうとう京都から将軍を追放。日本の覇者となりました。そんな信長が日本で初めに天守閣を作った城として有名です。
安土城
安土城まで
安土城ができたのは、1572年。近くの岐阜城から本拠を移しました。この安土は岐阜よりも京都に近く、北陸道や中山道なども通るので、交通の要衝でした。
とはいえ、今では安土駅は東海道線の小さな駅。普通のみとまる駅です。駅前の「安土城郭資料館」に行くと安土城下町の様子や安土城などを再現した絵がありパンフレットももらえました。

駅から田んぼの中の道を歩いていくと、15分ほどでお城。安土城への道からは観音寺城のある繖山と安土城のあるる安土山の並びも見ることができます。日本100名城が隣り合って存在するのはここだけですね。
ちなみに、信長が観音寺城をヒントに安土城を作ったのは明らかで、実は城内に武将を住ませたり、石垣を城全体に張り巡らしているのも観音寺城がはじめて。

安土城
安土城は1576年に築城。城は石垣に囲まれており、天守閣と呼ばれる大きな塔があるなど、当時の城というものを変えるような革新的な建物だったんですよね。
1582年の本能寺の変で信長が亡くなった後、この安土城は焼失してしまいました。現在残っているのは石垣のみですが、石垣がとても美しいです。

長い大手道が山の上まで続きます。城内の道はぐねぐねしていることが多いのですが、こうやってまっすぐなのはかなり珍しいです。
これこそ安土城の特徴で、この城は戦闘を目的とした従来の城ではなく、信長の権力を見せるものだったんでしょう。

安土城はこの長い大手道に沿って、家臣団の邸宅が建てられていました。入るとすぐに前田邸、そして羽柴秀吉邸。結構な長さはあるものの、普通の山城と比べるとあっという間に本丸です。
大手道を上がりきると右手に本丸。左手に進むと摠見寺です。大きな寺で、仁王門と三重塔がまだ残っています。お城の中にお寺があるのも隣の観音寺城と同じですね。




そして天主へ
黒金門を通ると、安土城の本丸が近づいてきます。虎口を通ると、本丸御殿。




そして、とうとう一番上の天主まで来ました。天主は天守のことですが、この安土城では天主と表記されます。天守は五層七重の巨大なもので、ルイス・フロイスの『日本史』では最上層はすべて金色である、と書かれています。また、信長は実際にこの天主で暮らしていたようです。
残念ながら今では天主はありませんが、その礎石が残っており、どんなに大きかったのかをはっきりとわかることができます。
このような天主を気付いたのは信長が初めてです。この後は安土城の例に倣って、この天守閣を持つ城が続々と作られていきました。


秀吉の時代になってからは城は隣の市の近江八幡へと移り、城下町も近江八幡へと映ってしまいました。
今では安土は滋賀の田舎。昔の栄華も少しの痕跡を残すだけで、ほとんどありません。
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