総持寺【大阪の西国観音】
大阪の住宅街である茨木市。そんな住宅地の中にあるのが西国三十三所の二十二番札所の総持寺です。街中にあるので小規模ですが、地元ではとてもよく知られたお寺です。
総持寺
総持寺はJR総持寺駅、または阪急の総持寺駅が最寄り。そこから徒歩3分程度のすぐの場所にあるのですが、周囲が住宅地で、周りが観光地化されているわけでもないので、少し見つけにくいのかも。
普段京阪間の移動で阪急はよく使うんですが、来たのはこれが初めてです。
総持寺はそれほど大きな寺ではありません。おそらく、西国三十三所の中でも小さいほうでしょうか。
総持寺の歴史は古く、平安時代の頃9世紀にまで遡ります。開基とされる藤原高房が猟師にとらえられている大きな亀を見て、今日は観音様の縁日だから逃がしてあげようとその大亀を買い取りました。
その日の夜、高房と子の山蔭は船に乗って出かけますが、山蔭が船から転落。なげき悲しんだ高房が観音様に祈ると亀が山蔭を乗せて帰ってきたのです。高房の没後、山蔭はこれに感謝すべく、観音像を作り、総持寺の本尊としました。
本尊は75cmの小さな千手千眼観世音菩薩。この本堂にいらっしゃるのですが、秘仏なので普段は見ることができません。とはいえ毎年4/15~21に定期的に公開されているようです。ぜひ見てみたいですね!!
もともとあったのはかなり巨大な寺だったようです。しかし、信長に燃やされ1591年に全焼。その後に再建されたようですが、かなり小さくなってしまいました。
ちなみに、信長に燃やされた時に、御本尊は下半身だけ燃えてしまい上半身は助かったことから、火事防止の神としても信仰されているらしいです。
閻魔堂の周りには池と小さな庭園があります。小さいながらもきれいですね。落ち着ける場所になっています。
なお、総持寺の開基である藤原山蔭は山蔭流包丁の元祖。魚に手を触れないで、お箸と包丁だけで魚をさばきます。
毎年、総持寺の開山堂では山蔭流の包丁式が行われており、境内の一角には使わなくなった包丁が奉納された包丁塚があります。
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