大和郡山城【さくらの名所】
奈良市の隣にある郡山。金魚で有名な街ですが、そんな郡山の中心にあるのが、郡山城です。日本のさくら100選にも選ばれており、桜もとてもきれいなお城です。
大和郡山城
大和郡山城ができたのは1580年。長年寺社勢力が有力だった大和を平定した信長の支援を受けて、筒井順慶が築城しました。さらに1585年には秀吉の弟である豊臣秀長が入城しました。この秀長が大きく城を拡大し、現在の郡山の発展を築きました。
江戸時代になると5代藩主綱吉に使えていた柳沢吉保の子である吉里が入城し、以降眼140年にわたり柳沢家が治めました。
大和郡山城
そんな大和郡山城は近鉄橿原線の郡山駅より10分程度のところにあります。お城のすぐ近くを電車が通るので、実は電車からでもちらっとですが、見えるんですよね。
駅から北に歩いて線路を渡り、鉄御門からそのまま進むと柳沢神社の鳥居があり、そこから天守台跡まで柳沢神社を経由してすぐに行けるのですが、せっかくお城にきたので、すこし細めの道へとそれてお城のメインの入り口である追手門へと向かいます。
追手門に向かう細い道からは特に桜がきれいです。
またいくつか櫓もあって、結構古いもののように見えるのですが、残念ながら櫓などは最近になって再建されたものなんですよね。
追手門の近くには追手向櫓があり、それらは多聞櫓で連結されています。なんとも重厚な感じで、防御力が高そうなお城です。
桜のシーズンに来ると、この追手門の辺りは桜がとってもきれいです。
また、城址会館のところからは城址散策道が堀沿いにあって、歩いてみると堀沿いに咲く桜を楽しむことができます。
極楽橋を渡り、柳沢吉保を祀る柳沢神社までくれば、ようやく天守台です。
天守台へ
さて、ようやく天守台ですが、郡山城には天守があった土台である天守台は残るのですが、残念ながら天守閣は残っていません。
天守台は野面積みのごつごつした感じですが、なかなか力強さがありますね。よく見てみるとかなり多くの転用石があるのがわかります。地蔵まで転用されているのはすごいですね。
奈良だと笠木の方まで行けば、石があるとは思うのですが。かなり急いで作ったんでしょうか。
天守台は絵図がなく、長いこと存在も疑問視されていたのですが、礎石が出土したことからその存在が確認されることとなりました。ここには5層6階の天守閣があったとされています。
しかし、関ケ原の戦い後に解体され、その後は再建されていないようなので、天守閣があったのもわずか数十年って感じでしょうか。
現在では天守閣さえないものの、天守跡はきれいに整備されており、その上まで登ることができます。
上からは奈良盆地の様子を見ることができ、奈良市内も見えます。歴代の藩主たちもこうやってこの天守閣の上から寺社の動きに目を光らせていたんでしょうか。
ちなみに重要な天守なのですが、絵などが全く残っておらず、天守閣が存在したかどうかさえ危ぶまれたのですが、発掘調査により礎石が発見されています。
ただ、作られてすぐ、関ケ原の戦い直後に解体され、それ以降は天守閣が存在していなかったようです。
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