岸和田城【泉州のお城】
大阪と和歌山を結ぶ最も重要な街道といえば紀州街道ですが、そんな紀州街道沿いで最も大きな城が岸和田城です、今はだんじりの町として有名ですが、昔は泉州最大の城下町でした。
岸和田城の歴史
岸和田城の始まりは1334年に楠正成が摂河泉の守護として派遣され、その和泉に弟の和田高家を派遣し城を築いたことに始まります。『岸』と呼ばれる地に和田が来て、岸和田という名前になりました。
秀吉の頃には雑賀・根来攻めの拠点の城になり、根来寺の勢力が攻めてきたときには、タコに乗った地蔵が追い払ったという蛸地蔵伝説も伝わります。
また現在のような城下町が整備されたのは、この根来攻めの後に岸和田の領地を与えられた小出秀正の時です。
江戸時代になると岡部宣勝が入城し、この岡部氏が230年間にわたり岸和田城を支配しました。
3代目岡部長泰の時代にはあの有名なだんじり祭りも始められました。
岸和田城
岸和田城は南海本線岸和田駅から歩いて10分ほどのところ。岸和田駅から商店街を抜けていくのもいいし、少し手前の春木で降りて紀州街道沿いにゆっくり歩いていくのもなかなか楽しいですよ。岸和田城が近づいてくると古い町並みが見えてきます。
紀州街道から行くと、こなから坂という坂を登ったら岸和田城で、お城が少し高台にあるのがわかります。もともとは三重の濠を持ち、輪郭式の縄張りで巨大な城だったのですが、今では結構小ぶりになってしまいました。
海にも面していたのですが、今では埋立地やらで海はずいぶん遠くなってしまいましたね。
すぐにでもお城の内部に入りたいのですが、実は岸和田城は二の丸が公園になっており、遊歩道があって本丸の石垣をじっくりと見ることができます。
岸和田城の石垣はなかなか見どころが多く、特に石垣の水面近くに犬走と呼ばれる通路があります。これは石垣がもろいので補強用に作ったんだとか。
石垣の足場となるので、なんだかちょっと攻めやすそうに見えますね。
天守閣へ
入るとさっそく天守閣が出てきます。なかなか大きな天守閣です。特に、破風が大きいのが特徴でしょうか。最上階の華頭窓もなかなか目立ちますね。剛健さと優雅さが同居するようなおもしろい美しさです。
現在の3階建ての天守閣1954年になって再建されたものですが、創建当時は5階建てのもので、1829年に落雷で焼失しています。
なお、天守閣の内部は大阪城のように城や城主の岡部氏に関連する資料を展示した博物館でした。
最上階から庭を見下ろすと、八陣の庭がきれいに見えます、重森三玲氏の作庭で諸葛孔明氏の八陣法をモチーフにしたという石庭です。
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