書写山円教寺【西の比叡山】

姫路といえば、観光地が本当にたくさんありますね。一番人気なのは姫路城ですが、書写山にある円教寺もやっぱり外せないところです。『西の比叡山』とも呼ばれ、広大な寺域が山の中に広がるお寺です。

円教寺

円教寺は標高371mの書写山の山頂付近に位置しています。姫路駅からバスに乗り、終点の書写山ロープウェイ前で下車。そして、そこから5分ほどロープウェイに乗って円教寺。バスの本数はそれなりにあるものの、姫路駅から結構遠いです。なお、麓からお寺までは登山道もあります。

なお、この姫路の山麓の辺りには一乗寺や廣峯神社など、有名な寺社仏閣がたくさんあるところ。このあたりはもう何度も来たような気がします。

ロープウェイを降りると、しばらく歩いて円教寺に向かいます。別料金を払えば、バスで行くことも可能なようです。

歩いても行けるんですが、今回はロープウェーで。
下には姫路の市内が見渡せます。
317mなので、結構大きな山です。

しばらく歩くと仁王門。円教寺です!! 西国三十三観音の第二十七番の札所。西国観音のお寺は全て行きましたが、この円教寺の大きさはトップレベルで、広大な境内が山の上に広がります。

ロープウェイを降りると、円教寺の境内まではしばらく歩かないといけないんですが、高低差もあまりなく、歩きやすいです。森の中のお寺ということもあって、とても気持ちがいいです。

円教寺到着です。仁王門は1617年の再建。
森の中の参道を歩いて行きます。

摩尼殿

摩尼殿は円教寺の中心となる建物。966年、性空が57歳の時にここに書写山にやってきたところ、天人が礼拝する姿をみて、生えている桜の木に如意輪観音を彫り、その周りにお堂を立てて、この観音を祀りました。性空上人が感得したその如意輪観音を祀るために建てた建物こそがこの摩尼殿でした。

残念ながら性空の作った観音さまは1492年の火災で焼失。現在の建物は1933年に再建されたもので、本尊は昭和にできた新しい如意輪観音菩薩なんですが、左右に配された四天王像はお寺の創建当時のものと言われています。

下から見ると懸造りになっていますね。桜もとってもきれいです。

本尊となる観音像も残念ながら見ることはできないのですが、毎年1/18日には開扉されています。

毎年ご本尊が見られるのは西国三十三観音では珍しいほうですね!!是非とも、開帳の日にも来てみたいです。

三之堂

円教寺の中でも3つの堂があるエリアは円教寺の中でも最も有名な場所。3つの堂とは大講堂・食堂・常行堂からなります。大講堂は学問と修行の場、食堂は生活の場。そして、常行堂は常行という、ひたすら阿弥陀仏の名前を唱えながら、本尊阿弥陀如来の周りをまわる修行を行うところ。天台宗寺院には欠かせない建物です。

右が講堂、奥が食堂、手前が常行堂。

この3つの中でも食堂には入ることができ、2階が博物館となって円教寺に伝わる宝物が展示されていました。現在の建物は室町時代の創建なんですが、こういった古い建物で総2階建ての仏堂はかなり珍しいですね。

ほとんどのお堂が2階建てに見えたとしても、2階部分は窓だけだったりします。

食堂。横にながーい建物です。

ここからさらに進むと奥の院。円教寺は本当に大きいです。ちなみに奥の院に至るまでにもたくさんのお堂があります。

ただ、円教寺の規模を考えると、昔は本当はもっと多くの塔頭やらがあったんでしょうね。秀吉のの中国攻めの時、秀吉は黒田官兵衛の進言を受けて、陣を円教寺に移動させており、そのために寺の多くをを失ってしまっています。

薬師堂。円教寺で最も古い建物。1319年のものです。

 

奥の院

奥の院は開山堂を中心としたエリア。開山堂は性空の死後に作られた場所で、性空上人座像を祀っています。また奥の院の護法堂拝殿は弁慶が修行したところで、「弁慶の学問所」伝わる場所です。

ロープウェイの乗り場からここまではおよそ30分か45分って感じです。結構遠いこともあってか、そんなに人はおらず、ひっそりとした感じです。

護法堂: 1559年
開山堂(奥の建物)は1655年の再建
軒を支えるあまのじゃく。重そうです。

ちなみに奥の院ですが、さらに書写山から北に5kmほど行った夢前町に弥勒寺というお寺があり、そこも円教寺の奥の院として知られる場所です。弥勒寺は性空上人が隠れ住んだお寺とも言われているのですが、なかなか

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