京都府

奈良街道(伏見街道)1: 京都~伏見

伏見といえば秀吉が伏見城を築き、酒どころとしても有名なところですが、そんな伏見と京都の中心をつなぐ街道が伏見街道。東海道や西国街道などと比べ短い街道ですが、街道の風景が感じられる素晴らしい街道です。

奈良街道(伏見街道) 1: 京都~伏見

五条大橋から稲荷

伏見街道の起点は京都の五条。五条大橋の東にある五条本町の交差点が伏見街道の始まり。追分には看板や街道に多く存在するような道標もないので少しわかりにくのですが、ここからずーっとまっすぐ南へと行きます。

街道には点在して、古い町家や歴史ある寺社が多くあり、京都の歴史を十分に楽しむことができる道です。

関西の街道は裏道になっていたりすることも多いのですが、この奈良街道も裏道になっているようで、交通量は結構多め。気を付けて歩く必要があります。

五条大橋
五条大橋から見た京都。
五条大橋の擬宝珠
五条大橋の擬宝珠
漬物の赤尾屋
漬物の赤尾屋(左)。1699年創業の古い漬物屋です。
伏見街道
町家建築も多く、街道らしい雰囲気はあります。

七条のあたりでは、街道沿いに豊国神社。秀吉の墓も豊国神社にありますが、ずいぶん階段を上がらなければいけないんですよね。任天堂もこのあたりで創業しており、創業時のビルが最近になってホテルへと変わりました。

他にも街道からそれると京都国立博物館や三十三間堂、智積院も。まだ始まったばっかりなので、とりあえずあまり寄り道せずに歩きます。

七条からさらに進むと、伏見街道はJRに分断されているので、高架を渡ります。

豊国神社
豊国神社。京都は「とよくに」神社です。大阪のは「ほうこく」なんですけどね。
京都大仏
方広寺は京都大仏としてしられていました。まだ地名に残っているんですよね
JR線を渡る伏見街道
琵琶湖線、湖西線、そして新幹線。いろんな電車が来ます。
本町座
左の成人映画館の本町座はおよそ100年営業していたようですが、今年惜しくも閉店。

伏見街道には昔、京都から伏見まで第一橋から第四橋までの4つの橋が架けられていました。橋の欄干には今でも『伏水街道』という名がしっかりと残っています。伏見ではなく伏水となっているのは、伏見が伏流水にとんだ地として知られていたからなんでしょう。

今村家住宅
登録文化財の今村家住宅
寶樹寺
寶樹寺(右)の角に一の橋の碑があります。
一の橋跡
第一橋跡。川は埋め立てられて、ありません。
瀧尾神社
瀧尾神社。大丸創業者の下村彦右衛門が崇敬していた神社です。

第二橋は京阪東福寺駅を少し過ぎた名神高速の橋桁の下にあります。ここに川が流れていたんでしょうが今では埋め立てられ、川は見当たりません。

東福寺というと紅葉で有名ですね。多くの人がこの伏見街道を歩いていた時も、この街道を通って東福寺に行く人がたくさんいたんでしょう。

第二橋
第二橋
伏見街道の町並み
街道らしい感じです。
東本町陵墓
東本町陵墓。誰のお墓なんでしょう。
東福寺の山門
この辺りは広大な東福寺が広がるエリアです。

さらに、そのすぐ近くには第三橋。第三橋の下には今でも川が流れています。

東福寺を過ぎたあたりからは民家も多くなってきました。街道沿いには古い民家も多く、かなり街道らしい雰囲気があります。

並行して走る京阪電車の東福寺の次は駅は鳥羽街道という駅なんですが、鳥羽街道はこの駅から西に数キロほど行ったところにある街道。なんでこの駅は伏見街道という名前にしなかったのか不思議なくらいです。

第三橋
第三橋。今でも現役です。
奈良街道の風景
京都らしい感じの街道です。
田中神社
田中神社。伏見稲荷の境外摂社
伏見人形のお店
数少ない伏見人形のお店も。稲荷のお土産としてとても人気でした。

稲荷から墨染、伏見へ

さて、歩いて五条を出て、一時間ほどで伏見稲荷まできました。ちょうどこのあたりから伏見区。意外と、京都市内から近かったですね。伏見稲荷は伏見街道沿いにあり、伏見稲荷までくると一気に人が増えてきます。

有名な寺社を通るように街道が作られるので、歩いているだけでかなり多くの寺社を楽しむことができます。

伏見稲荷
稲荷。もう最近は、人でごった返している感じです。

JRの稲荷駅は伏見街道沿いにあるんですが、駅の南には昔の照明用に使った、東海道線開通時のランプ小屋が保存されています。

東海道線?JR奈良線じゃなくて?と思うかもしれませんが、昔は東海道線は逢坂峠を越えることができず、山科から京街道に沿って大きく南下し、現在の名神高速が通る低めの峠を越えて稲荷に出てくると、その後北へと方向を変え、京都駅へと向かっていました。

奈良街道の伏見稲荷付近
タクシーやら自転車やらかなり危ない感じです。街道沿いもだいぶ混みます。
市電跡
駅前にひっそりと残る市電の稲荷停留所跡。
ランプ小屋
ランプ小屋。東海道線は1921年に現在のルートとなりました。

稲荷を出ると、伏見まではもうすぐです。このあたりには龍谷大学や京都教育大学など、学校も多いので、学生が多く歩いています。

宝塔寺への道標
宝塔寺への道標。宝塔寺には市内最古の多宝塔があります。
伏見街道の町並み
右の建物は大正か昭和初期あたりのかなりレトロな建物ですね。
聖母女学院
カトリック伏見教会とその隣には聖母女学院。校舎は1905年の陸軍第16師団司令部庁舎です。
伏見街道の町並み
このあたりも古めの町家がたくさん。

伏見街道にかかっていた橋も、第四橋が最後。第四橋の下には七瀬川に架かる橋で、この橋は現役で使われています。

七瀬川が北東から南西に向かって斜めに流れていることから、第四橋は筋違橋とも呼ばれるんですが、この橋だけは江戸幕府が管理する公儀橋でした。通常、かなり大事な橋だけが公儀橋になり、大阪や京都でも数ある橋の中で、公儀橋になっているのはごくわずかです。

第四橋
第四橋はきれいなアーチ。1873年に作られた橋ですが、拡幅され、多少変わっています。
西岸寺
西岸寺。境内には、九条兼実の娘であり、親鸞の妻である玉日姫の廟所も。
藤森神社
藤森神社。馬の神社として有名ですが、紫陽花園もとってもきれいです。
米市本家
米市本家(右)。古い米穀店です。

墨染までくると、ここで京街道と合流です。しばらく京街道も伏見へ向かい、そのあと枚方、守口を経て大阪へと向かいますが、伏見のあたりでは一筋ずれたところを行きます。

京街道との追分
墨染の交差点。山科方面からの京街道(大岩街道)は左側からきます。
墨染寺
墨染寺。墨染の由来になったお寺です。

墨染駅を少し過ぎたところで右折して川を渡り、一筋西の道を伏見へと向けて南下していきます。

墨染橋から
墨染橋。実は京都からここまで鴨川運河がずっと並行して流れていました。
撞木町
撞木(しゅもく)町。
撞木町のよろず屋跡
撞木町のよろず屋跡。ここで大石内蔵助が敵を欺くために遊興したんだとか。
古い道標
1847の道標。「東 左りふねのり場」「南 右 京大津みち」

伏見

丹波橋は近鉄も京阪も特急が止まる駅ですが、駅前はほとんど発展しておらずいつのまにか過ぎている感じ。場所的にも、伏見の北のはずれって感じの所にあります。気づけば伏見です。伏見の駅前には駅前には商店街があり、発展している感じがします。街道から少し逸れると御香宮神社や酒蔵なんかもあります。

ちなみに、この伏見街道を最後まで歩くと、最寄り駅は中書島という駅。中書島は特急もとまる駅です。中書島は宇治川沿いの中州となっている島の名前で、この中州である中書島に伏見港があり、大阪までの三十石船などが運行されていました。

伏見街道
伏見街道。左の魚三楼には、鳥羽伏見の戦いでできた弾痕が窓枠に残っています。
伏見の町並み
伏見の酒蔵。酒蔵がたくさんあって、とても風情があります。
伏見大手筋商店街
伏見には大きな商店街も。
伏見十石船
伏見十石船。伏見には昔、伏見港があり、大阪へは伏見から船に乗っていきました。

さて、この伏見をまっすぐ行くと行き止まり。ここから少し行くと観月橋で宇治川を超えます。この観月橋は昔は豊後橋と言われ

昔はこの辺りはこんな感じではなかったようで、伏見の南には昔の巨椋池という大きな池が広がり、そこに観月橋がかり、そこから巨椋池にかかる小倉堤を歩きました。さらにこの小倉堤は宇治の小倉で大和街道と接続し、奈良へと向かいました。今とは随分違う光景が広がっていたんですね。

ということで、今日はここまで。中書島の駅がすぐそこです。引き続き、奈良街道をどんどん歩いて、奈良まで目指します。

澱川橋梁
近鉄の澱川橋梁。1928年架橋のトラス橋で、単純トラス橋としては日本最長。
観月橋
観月橋
宇治川
JR線はこの宇治川に沿って、宇治へと向かいます。

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