関東

東海道を歩く 3: 川崎~横浜【神奈川宿】

東海道を日本橋から歩いて川崎です。今回はこの川崎宿を歩いて神奈川宿を横浜まで向かいます。神奈川宿は神奈川県の名前の由来にもなったところですが、今ではずいぶんとひっそりとした感じ。それでも昔を思わせるものはたくさん残っていて、歩いてみるといろんな発見があって本当に楽しいです。

川崎宿

さて、ということで前回の続きの川崎宿からです。品川と神奈川の伝馬負担を軽減させるために作られた宿場で、他の宿場よりも少し遅く作られたようです。

川崎には最古の田中本陣を含め、3つ本陣があり、かなり大きな宿場だったようですが、空襲などの被害も激しかったこともあり、宿場らしいものは残っていません。

とはいうものの、とても活気のある街。関西でいうと、川崎だけで神戸ぐらいの大きさはありそうな感じがします。

佐藤本陣跡地
左が佐藤本陣跡地。六甲おろしの作詞者佐藤惣之助はここで生まれました。
小土呂橋の親柱
小土呂橋の親柱。昔、江戸時代に開削された新川堀用水が流れていました。
稲毛神社
稲毛神社。川崎で一番大きな神社です。

川崎というと、その発展は映画街とともにありました。1936年に川崎銀星座ができてから多数の劇場が作られ、川崎銀座や銀柳街といった商店街が発展していきました。

今では東海道よりも川崎銀座などの方が人通りが多く、発展しています。また、映画街の名残として駅のすぐ近くには、シネマコンプレックス「チネチッタ」があります。

川崎銀座街
川崎銀座街。大きな商店街です。

川崎を出て生麦へ

川崎を出ると、八丁畷。八丁(870m)もの長いまっすぐな道が続きます。京急の踏切を渡って、いつの間にか川崎市は終わり、横浜市の鶴見区に入っています。大阪市にも鶴見区があるんですよね。なんか、同じ鶴見区で似たような雰囲気です。

慰霊塔
慰霊塔。江戸時代の無縁塚がここにあったようだ。
市場村一里塚
市場村一里塚。日本橋から5里です。
東海道
結構落ち着いた感じになってきました。
鶴見橋
鶴見橋を渡ります。外国人を狙った不審な浪士を取り締まるために作られた関所がありました。

鶴見駅の少し手前に鶴見神社。そして鶴見駅もとても大きく、賑やかです。

鶴見神社
鶴見神社。古くは杉山明神と呼ばれました。鶴見の田祭りでも有名です。
鶴見駅
鶴見駅。いや、東京の駅は大きすぎでしょ…

鶴見と言えば、見逃せないのが駅の裏にある総持寺。曹洞宗の本山となるところで、ものすごい大きさのお寺です。

お寺の中に学校がいくつかあるぐらいです。関西ではなく、関東でこれほどの大きさのお寺を見るのは珍しいですね!!

総持寺
総持寺。すごい大きさです。
総持寺の門
総持寺の門。門からしてお寺の大きさがわかります。

ここから少し進むと国道駅。そして鶴見川の河口までくると、生麦です。

生麦のあたりは魚川岸通りと呼ばれているところ。江戸城に新鮮な魚を提供する御菜八ヶ浦の1つとして知られる漁村でした。今では周囲は埋め立てられ、漁港もなくなってしまいましたが、現在でも鮮魚店が多数軒を連ねています。

国道駅
上にあるのが国道駅。この東海道は明治時代、1號國道と呼ばれ、横浜港に至る国道でした。
国道駅
国道駅。なんかすごい雰囲気の駅です。
魚川岸通り
魚川岸通り
東海道沿いの神社
蛇も蚊もまつりは横浜市の無形民俗文化財。萱で作った蛇を子供たちが町内で担いで回るお祭りです。

そして、生麦と言えば、やっぱり生麦事件です。ここで英国の商人が大名行列を横切ったことを理由に斬られて亡くなり、これが原因で薩英戦争へと発展。薩摩は攘夷が難しいことを悟り、倒幕へと傾いていきました。まさに日本の歴史においてターニングポイントとなった事件でした。

そんな生麦事件の跡地には小さな看板と少し離れたところ(国道との合流地点)に碑が建てられています。

生麦事件の場所
生麦事件の現場となった場所
生麦事件の絵
生麦事件の看板
生麦事件の碑
生麦事件の碑。少し離れたところにあります。奥の石碑にはイギリス国旗が掲げられています。

生麦から神奈川へ

生麦からは再び第一京浜を歩いて神奈川宿へと向かいます。大きな国道ということで、交通量もかなりあります。途中、東子安一里塚があるのですが、ここは珍しく碑などが設置されていませんでした。

子安駅のあたりで、東海道から一つ奥に入った、海(運河)沿いの浜通りを歩くと、そこには大きな船溜まり。漁船の数もこれまでの船溜まりとは違って、とっても多いです。

周囲が工業地帯化されるまで、大きな漁港があったようです。今でも漁をしている人はいるようで、かなりの数の船が並んでいます。

第一京浜
第一京浜。ちょっと交通量も減ってきたかな?
子安通の船溜まり
子安通の船溜まり。横浜にもこんなところがあるんですね
浦島町
浦島町。浦島太郎に関する伝説が残る町です。
笠䅣稲荷神社
笠䅣稲荷神社

ちょうどこのあたりから東神奈川駅。そして神奈川宿が始まります。

神奈川宿

そして、とうとう神奈川宿です。神奈川宿は東海道3番目の宿場町。神奈川という名前は、宿場に流れていた小さな小川の名前であり、この宿場の名前が現在の神奈川県の名前の由来にもなっています。

その神奈川も、東海道分間延絵図によると、もともとは水源がわからないために『上無川』(かみなしがわ)と呼ばれていたことに由来するいう説が紹介されています。

神奈川宿の中心、滝野川にかかる滝の橋。川を挟んで、東に神奈川本陣、西側に青木本陣がありました。
宮前商店街
宮前商店街の方へと入っていきます。
洲崎大神
洲崎大神。この神社の前には、昔は海が広がっており、開港場までの渡船場がありました。
神奈川駅
神奈川駅。ずいぶん小さな駅です。

1858年の日米修好通商条約において、横浜が開港されましたが、多くの国がこの神奈川宿にあるお寺を領事館として使用しました。今でもそのお寺の多くは残っており、開国の歴史を楽しむことができます。

本覚寺
アメリカが領事館として使った本覚寺。港が見える高台にあります。
甚行寺
フランス公使館があった甚行寺

神奈川駅のあたりでJRや京急線の線路を越えると、大綱金刀比羅神社のあたりからは坂を上がっていきます。ここは台町と呼ばれているところで、横浜駅の北。昔はこの台町の崖下まで海岸線が来ており、神奈川湊が広がっていました。となると、現在の横浜駅がある場所は昔は海の底だったんでしょう。

台町から北へとさらに坂を上がれば高島台で、これは横浜の発展に尽くした高島嘉右衛門から名づけられた地名。しかし、高島台まで行くと、ずいぶんと高台になっていて、見晴らしがとてもいいです。

大綱金毘羅神社
大綱金毘羅神社。このあたりが神奈川一里塚。
田中家
左の田中家は坂本龍馬の妻、おりょうゆかりの老舗料亭です。
神奈川台の関門跡
神奈川台の関門跡

さて、そんな台町ですが、坂を上ると5分ほど歩いて、下り坂。坂を下ると、横浜駅の西口からおよそ5分程度の上台橋ところに出てきます。

上台橋は横浜駅のすぐ近くで、駅も見えるような距離ですが、東海道とは思えないほどひっそりとした、落ち着いた雰囲気です。

横浜駅付近の東海道
横浜駅からすぐとは思えないぐらい静かな道です。
台町を下る坂
坂を下りていきます。
上台橋
上台橋から横浜方面を見る。
横浜駅
横浜駅。大きいですね!!

さて、ということで目的地の横浜。次回はここからいくつもの峠を越えて、藤沢までを歩きます。

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