金沢城公園【加賀百万石】
加賀は百万石で知られる都市、金沢。そんな金沢の中心にそびえるのが金沢城。いまでは金沢城に残るものは多くないですが、兼六園にも近く、温かい春の日や雪の日に散歩するには素晴らしい場所です。
金沢城公園
金沢城があるのは、もともと加賀一向一揆で支配権を握った一向宗(浄土真宗、本願寺のこと)の尾山御坊があった地でした。そんな一向宗が信長に倒され、そこに佐久間盛政が1580年に金沢城を築城したことに始まります。
そして、1583年にはあの前田利家が入城し、本格的な築城が開始しました。その後、前田家が14代にわたって、治めています。そして、加賀藩は加賀百万石と呼ばれ、徳川藩に次いで2番目に高い石高を持っていました。
金沢城
そんな金沢城は金沢の駅からは少し遠いんですよね。金沢の市街地である香林坊や兼六園と言ったエリアは駅から歩いて15分ほどのところにあります。
とっても広いお城なので、まずはどこに行こうか迷ってしまうのですが、金沢城の門と言えばやっぱり石川門ですね。石川門は江戸時代から残る貴重な建物です。ちなみに石川郡のほうを向いているので石川門と呼ばれているんですよね。
立派な門で、両脇に咲く梅の木がとってもきれいなようです。
とはいうものの、実は石川門って金沢城の大手門ではないんですよね。
大手門は石川門から、河北門を通って、公園を出たところにあります。大手門ですが、櫓とかは残っておらず、兼六園からも少し離れているので、あんまり人がいないところにあります。
石川門を通ると三の丸。そこからさらに橋爪門を通ると二の丸広場。橋爪門のところにある五十間長屋は長い建物で、橋爪門長屋と菱櫓をつないでいます。
ちなみにこの金沢城ではこういった櫓はほとんどが再建なんですが、中に入ったりすることができるんですよね。雪が降ってる日には建物内はあったかいので結構うれしいです。
二の丸広場がかつての二の丸御殿があった場所です。
残念なことに早くも1602年には天守閣が落雷で焼失。それ以降は天守閣が再建されず、二の丸が政治の中枢を担ってきました。現在の天守閣跡は雑木林になっており、さらに二の丸御殿も残っていないので、すこし寂しい感じですね。唯一残るのは、尾山神社にある、二の丸御殿唐門ぐらいです。
二の丸からは重要文化財の三十三間長屋や鶴丸倉庫に続く道もあります。よく探検してみると、軍の遺構が残っているのがわかります。
石垣もところどころ残っている感じでしょうか。金沢城の石垣は医王山あたりで産出される戸室岩がふんだんに使われています。
明治時代には陸軍が置かれたりしたので、軍の施設も残っていたりします。また、戦後は城内に金沢大学が置かれていた時期もありました。
ただ、金沢と聞けば、なんかお城がかなり豪勢そうな気がしますが、その肝心なお城があまり多く残っていなのが少し残念。
金沢城公園から玉泉院丸庭園を抜けて、尾山神社へと行くこともできます。玉泉院丸庭園は加賀藩三代目の前田利常が1634年に作った庭園で、玉泉院とは2代目利長の正室。前田家が愛した庭園なんでしょうね。兼六園よりも古くからあるんですが、玉泉丸庭園は再建されたものなんですよね。
鼠多門をくぐれば、尾山神社。訪問時には少し天気が悪く、雪が降っては風も強く、雷が鳴るような不思議な天気でした。金沢ではこういった冬の嵐を『ぶりおこし』って呼ぶんですよね。
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