上街道を歩く2: 天理~桜井
奈良から桜井を結ぶ上街道。伊勢参りも利用された歴史ある道です。前回は奈良から天理まで歩きましたが、今回は天理から桜井まで。前半の奈良から天理はあまり大きな見どころはなったのですが、天理から桜井にかけては有名な神社や古墳など見どころがとても多い道です。
※上街道は伊勢本街道の一部です。伊勢本街道の全行程の記録はこちら
上街道 2: 天理から桜井へ
天理
天理からスタートです。天理といえば、日本一の宗教都市。市のあちこちに関連する施設がありますが、天理教ができる前に上街道は既に存在していたので、上街道沿いには天理教とは関係のない歴史的なものも多くあります。なお、天理とえば、石上神宮が有名ですが、山の辺の道沿いにあり、上街道からはすこし離れています。
しばらく行くと、道路の真ん中に屋根がある不思議なところに出てきます。この辺りは丹波市と呼ばれ、伊勢街道沿いにあり人の往来も多かったので、市場として発展したところです。現在でも古い建物が多く並び、江戸時代のような雰囲気が残っています。なお、天理駅も天理教が盛んになる前は丹波市駅と呼ばれ、この丹波市こそが町の中心だったようです。
天理も南の方まで来ると、山が近づいてきました。奈良盆地の東部の山々は大和青垣国定公園となっており、麓には様々な古刹があります。この『青垣』とは倭建命(やまとたける)が東征の帰り、大きなけがを負ってしまい、命耐えそうなときに故郷の奈良を詠んだ歌「倭は国のまほろば たたなづく 青垣 山籠れる 倭しうるはし」に由来しています。
なお、天理の南部から桜井にかけては古代の上ツ道の形跡が比較的よく残っていると言われております。道路幅ももともと43m程度と推定されているようですが、今ではそんなに幅が広いところはないです。
天理の南部には大和(おおやまと)神社があります。小ぶりな神社で張りますが、このあたりの石上神宮や大神神社と並ぶほど有名な神社で、創建は崇神天皇6年(紀元前92年)とされています。日本海軍最大の船『大和』にはこの神社の分霊が祀られていました。
纏向遺跡へ
天理の南部まで来ると、纏向遺跡が近づいてきており、古墳も増えてきました。
その遺跡の前に見落としてはいけないのが、長岳寺の五智堂(長岳寺自体は山の辺の道沿いにあり、1kmほど離れています)。柱と屋根だけの建物で、その見た目から別名傘堂とも呼ばれます。上街道沿いにあるのですが、非常に珍しい建物です。そして、これはお堂だったものが焼失して残っているとかいうわけではなく、鎌倉時代にたてられて以来ずっとこんな感じで、国の重要文化財に指定されています。
纏向遺跡まで来ました。この纏向遺跡は3世紀前半の日本で最初の国である邪馬台国の跡地と否定されている場所です。纏向遺跡は東西2.5km、南北2kmの範囲内にある様々な遺跡や古墳の総称で、全部行くのは時間的にもかなりきついのです。
いくつか上街道沿いにも遺跡がありますが、中でも絶対に訪れておきたいのが、箸墓古墳。この箸墓古墳が最初期に前方後円墳であり、卑弥呼の墓ではないかと推測されています。箸墓古墳は伊勢街道沿いにあります。
大神神社
箸墓古墳まで来ると、もう桜井。ほとんどゴール間近です。この辺りで、初瀬街道に接続するために曲がりはじめます。このあたりからは直線ではなく、道がややこしいので要注意です。
上街道は大神神社の大鳥居の前を通ります。昔の人も大神神社にはきっと立ち寄っていたのでしょう。奈良で最も大きな神社の1つで、私たち夫婦の中で最もお気に入りの神社の1つです。大物主神が鎮座する三輪山を祀る神社で、三輪山がご神体なので、本殿がない神社です。
そして上街道の終点、海柘榴市へ
大神神社から30分ほど歩いてゴールの海拓榴市を目指します。もう上街道も終わりに近づいてきました。
海柘榴市は歌を詠みかわす歌垣の舞台でした。さらに、この海柘榴市では山の辺の道、初瀬街道、上街道、竹ノ内街道(横大路)など大きな街道が集まるところで、とても賑わっていた場所でした。ここからJRと近鉄桜井駅は歩いて20分ほどです。
ということで、天理を出発して3時間ほどで桜井到着です。後半は見どころも多く、いろいろ寄り道してしまいましたが、正直言うともっともっと立ち寄りたかったです。
伊勢本街道はここから初瀬街道を通って、東へと向かい、長谷寺そして榛原へと向かいます。まだまだ伊勢は遠いですね!!
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