和歌山城【紀州藩】

和歌山市のメインとなる観光地と言えば、もちろん和歌山城ですね。和歌山城と言えば、そんなに有名な城として知られてはいないのですが、実は江戸時代には徳川御三家として重要な位置を占め、あの八代将軍の徳川吉宗も和歌山の出身だったりします。

和歌山城

和歌山市のシンボルでもある和歌山城は、和歌山市内の中心部に位置しています。ただ、南海の和歌山市駅からもJRの和歌山駅からも歩いて15程度のところにあり、少し不便。

和歌山城は桜がとてもで有名で、桜の季節に来るときれいな桜を見ることができますよ!! 

ただ和歌山市は市内中心部の空洞化にかなり悩んでおり、町の中心部でありながらも普段はひっそりしています。

橋を渡って入城です。
岡口門: もともと正門だったのはこの岡口門。この門は第二次世界大戦で燃えてないんですよね!
追廻門。これも江戸時代から残る門。赤く塗られた門は珍しいですね!!

和歌山城は1585年に秀吉が紀州を平定し、弟の秀長に命じて伏虎山に城を創建したのが始まり。とはいえ秀長は和歌山におらず、桑山氏が城代をつとめ、そして1600年には関ヶ原で大きな貢献をした浅野幸長が城代となりました。

1619年には家康の十男である徳川頼宣が城代に就任。徳川が来たことで御三家(尾張徳川、紀伊徳川、水戸徳川)のメンバーとなり、唯一御三家のメンバーだけが、徳川姓を名乗ることや、徳川の葵紋を使用することが認められました。

御三家と言うこともあり、お城はかなりの大規模。そして何よりかっこいい造りをしています。

桜が本当に綺麗でした!
みなさんお花見されています。

和歌山城の見どころの1つといえば、その石垣です。

和歌山城は様々な時代に改造されたためか、異なる時代の積み方が見ることができ、なかなかおもしろいです。

切込み接ぎ・高石垣。石がきれいに削られています。
野面積み: 古い時代の積みかた。石が削られることなく積まれています。
このあたりは緑泥片岩を使った石垣です。全国的に見て、かなり珍しいです。

 

さて、和歌山城は虎伏山の頂上にあり、正門から天守閣までは結構遠く、坂を登らなけばいけないんですよね。とはいえ、標高は48.9m。そんな高い山ではありません。

表坂、浦坂、新裏坂とあるんですが、裏坂や新裏坂は少し階段がきついので、ゆっくり上るなら表坂から行くほうがいいのかも。

伏虎像。虎伏山は海から見ると、虎「が伏せているように見えるんですって。
表坂から。下には岡口門が見えています。
見事な桝形虎口
和歌山の町並み。大阪方面を見ています。

和歌山城の天守閣

ようやく天守閣です。なかなか長ったような気がします。想像以上に大きなお城です。というか、大阪城に並ぶほどの大きさです。さすが徳川御三家。

天守閣は、1846年に落雷で焼失してしまうのですが、御三家だったこともあり特別に再建が許可。その天守閣も、惜しくも第二次世界大戦で全焼してしまい、1958年に再建されたものが現在の和歌山城の天守閣です。

なかなか大きなお城。
和歌山城に入ります!!

和歌山城の天守閣は、三層三階。大天守や小天守や乾櫓が多聞櫓で連結されており、珍しい連立式天守閣となっています。

連立式天守閣では中庭を廊下で包囲しているので、城に入ろうとする侵入者をあらゆる角度から攻撃できるんですよね。かなり防御力の高いスタイルです。

内部には紀州藩ゆかりの物が展示されています。高台にあると言うこともあり、お城の上からは和歌山の町並みがとてもよく見えます。

右に紀ノ川、遠くに和歌山港が見えますね!

御橋廊下

大手門を入ってすぐのところに、二の丸庭園があります。

二の丸庭園にはもともと二の丸御殿があり、天守や本丸御殿が山の頂上にあり不便だったことから、この二の丸御殿で主に政務が執り行われていました。

なお、ここにあった二の丸御殿は、本丸を焼失していた大阪城に移されたんですが(天主閣前の池のところです)、それも焼失してしまいました。

この二ノ丸庭園と隣の西の丸広場をつなぐところに、御橋廊下と呼ばれる何とも不思議な橋が架かっているんですよね。

御橋廊下

この御橋廊下はは藩主とそのおつきの人だけが行き来できる橋で、壁と屋根に覆われているので、外からは渡っていることが見えないようになっていました。

写真を見たら明らかですが、橋は11度の角度があり、とても珍しいんですよね!!

中に入ると、結構な高低差があるのがわかります。

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