柳生を散策する【剣豪の里】
奈良市からバスで1時間ほど行くと、柳生です。柳生は小さな山村で、観光地化されているようなところでもないのですが、実はあの『柳生十兵衛』などの剣士の里でもあります。
歴史好きなら、是非訪れておきたい場所ですね!!
柳生新陰流の発祥地『柳生』
柳生といえば、柳生新陰流ですね。
柳生新陰流のベースは上州に生まれた上泉伊勢守藤原秀綱が作った新陰流で、そんな秀剛が興福寺を訪れた時、当時有名であった剣士の柳生宗厳が受け継いだと言われています。
柳生宗厳の剣の腕前は将軍の耳にも届き、息子の宗矩は徳川の下で使えることになりました。
宗矩は関ケ原の戦いにおいて家康の勝利に大きく貢献し、このために2代目秀忠の剣の指南役に任命。その後、どんどんと領地を与えられ、最終的には柳生藩の初代藩主の大名になりました。
柳生十兵衛
柳生といえば、やっぱり最も有名なのが、柳生十兵衛ですよね。正確には、柳生三厳(みつよし)という名前で、柳生宗矩の息子。徳川家光に仕えた腕利きの剣士でした。
しかし、そのあと十兵衛は蟄居となり、再び雇用されるまでの10数年間は謎に包まれています。
柳生に帰って、剣術に打ち込んだと言われていますが、実際はこの間に諸国を旅をしたといった伝説も伝えられています。
柳生の見どころ
さて、奈良からバスに乗って1時間ほどで柳生です。なかなか遠かったですね!!
柳生はとっても田舎できれいなところですよ。田園風景がきれいなので、田園が黄金色に色づく秋ごろに来るのがおすすめです。
集落内にはコンビニが全くないので、昼ご飯を買ってから来たいです。
柳生内にはいくつかの歴史スポットが残りますが、地図がないと少しわかりにくいのかも。
旧柳生藩蔵屋敷
柳生の里の入り口の小高い丘に建つのが、この旧柳生藩家老屋敷。ここは柳生家ではなく、柳生の財政を立て直した小山田守鈴が住んだところのようです。
母屋はきれいに残っており、奈良では唯一の現存する武家屋敷です。そういえば、奈良の街道はもうかなりいろいろ歩いていますが、武家屋敷は見たことがないですね。
中には柳生藩に関する展示などがありました。資料も興味深かったですが、古民家の大きさにびっくりです。
天乃石立神社
柳生の里からあるいて15分ほど、山を登ると見えてくるのが、この天乃石立神社。看板がないので、少し迷いそうになってしまいました。
神社なんですが、この神社には本殿がなく、あるのは4つの巨岩だけ。そして、この巨岩こそこの神社のご神体なんですよね。
伝承では、天照大神が天岩戸にこもったとき、手力男命がその岩戸を開け放った際に勢い余って、ここまで岩戸が飛んできたと伝わります。
鳥居を通って一番下まで下ると、一刀石があります。高さは2mほど。思ったよりも結構大きな岩です。
この一刀石は柳生宗厳が天狗との刀の練習中に天狗と間違えて切ってしまったんだとか。たしかに、鋭利な刃物で切ったかのようにスパッと真っ二つに割れています。そして、左右の岩は間違いなく、1つの岩が割れてできたものだと思われます。
なんとも不思議な石ですね。どうやって割れたんでしょうか。
芳徳寺
柳生の高台にあるのが、芳徳寺。
もともと、柳生宗矩が父の柳生宗厳(むねよし)を弔うために1638年に作られ、柳生家の菩提寺として知られるお寺。開山はあの沢庵です。
真新しい本堂の中には柳生新陰流に関する資料が展示されています。
秋に来ると、境内のモミジやイチョウががとてもきれいでした。
また、境内からは柳生の里が一望できます。
本堂の裏に回ると、柳生一族の墓所がありました。
なんとも落ち着くような雰囲気がありますね。故郷に帰ってこれてよかったですね。
なお、下から上がってくる途中に剣道場、正木坂道場がありました。
この正木坂道場は十兵衛が柳生に帰ってきたときに剣士の教育を行ったといわれる道場を復活させたもの。今でも柳生新陰流の訓練が行われているんでしょうか。
道場からは稽古に勤しむ声が聞こえました。
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