豊国神社と方広寺【豊臣秀吉】
日本の長い歴史の中で、最も人気の時代といえば戦国時代でしょうね。そして中でも絶大な人気を誇る人物と言えば、豊臣秀吉ですね!!
そしてそんな秀吉を祀る豊国神社は人気のスポットの一つで、周囲には大坂夏の陣・冬の陣のもとになった鐘や秀吉のお墓もあります。
豊国神社
あの人気の豊臣秀吉は死後、京都の阿弥陀ヶ峰に葬られました。そして、秀吉は朝廷より豊国大明神と名が与えられ、神として祀られ、神社は豊国神社と呼ばれました。
途中、江戸時代には荒廃してしまうのですが、明治時代になって秀吉の功績が大きく認められるところとなり、1880年豊国神社は方広寺の大仏殿の跡地に再建されました。
境内に入るとすぐに見えるのが、巨大な唐門。
この唐門はもともと伏見城にあったものが、二条城や南禅寺に移築された後、この豊国神社にやってきました。
伏見城の遺構としては非常に貴重なもので、秀吉の時代の文化である桃山文化の貴重な遺構となっています。
残念ながら、通常時にはこの門より奥に進むことができなのですが、三が日にだけは解放されて本殿の近くまで行けるようです。
京都には織田信長を祀る建勲神社もあるのですが、こっちのほうがかなり人気ですね!!まぁ、家康に関しては神社すらないですけどね…
ちなみに豊国神社には秀吉ゆかりのものを展示した博物館もあるんですよね!!
方広寺と釣鐘
さて、豊国神社の隣にあるのが方広寺です。豊国神社と方広寺は壁で仕切られていないので少しわかりにくいのですが、豊国神社とはちがうお寺なんですね。
方広寺は、奈良の大仏が燃えた際に、それに変わる大仏を作るために秀吉が建てた寺で、当初はかなり大きい寺だったようです。
実際に奈良の東大寺を超える巨大な大仏がこの方広寺につくられたことがわかっており、京の大仏として親しまれました。
しかし、完成わずか1年で慶長伏見地震により倒壊。息子の秀頼を含め、何度か再建が行われているのですが、結局1798年に落雷で焼失してしまいました。
方広寺もかつてのような広さはなく、大仏があった形跡もないのですが、方広寺には秀頼が再建した際に作られた鐘が残っています。
そしてこの鐘、ただの鐘ではないんです。
この鐘に近づいてよく見てみると、白く囲まれた部分があるのですが、この白く囲まれた部分には『国家安康 君臣豊楽』とあります。
この銘文は、『家康』と言う文字が引き裂かれており、さらに『豊臣君』 とも読むことができますね。
家康はこれを豊臣家が徳川家康のひそかに倒そうと企んでいると考え、家康は豊臣秀頼に対して宣戦布告。この鐘のために大坂冬の陣、夏の陣が起こりました。
豊国廟へ
秀吉の遺骨が埋まっていると言われる箇所は高野山を始め色々なところにあるのですが、最もメインとなるお墓は京都の阿弥陀ヶ峰という山の頂上にあります。
この豊国廟の入り口は、京都女子大につながる女坂を上がったところにあります。現在の豊国神社からは徒歩10分程度の離れたところなのですが、実は秀吉の死後すぐに建てられた際の豊国神社があった場所なんですよね。今ではそれを示すようなものは何もないですね。
さて、ここから秀吉の墓まで500段の階段です。往復でだいたい45分ぐらいって感じです。
体力に自信がないと厳しいのかも。夏場はかなり汗だくになると思います。なるべく涼しい時に来たいですね。
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