東海道を歩くin関西 5: 水口~草津
東海道を歩いて、滋賀県に入りました。水口まで来ると、京都も近くなってきたって感じがしますね!!今日はJR草津線や野洲川に沿って、水口から草津まで滋賀ののんびりしたところを歩きたいと思います。
東海道を歩く5: 水口~草津
水口宿
近江鉄道の水口駅を降りると水口宿。水口城が中心にあります。別名『碧水城』とも呼ばれ、湧き水を利用した青い水を堀に使っていました。
現在は本丸跡地は高校のグラウンドとなり、入ることはできないようですが、旧乾矢倉が水口城資料館となっており、昔の水口城について学ぶことができます。
水口宿から石部宿
さて、水口宿の次は石部宿。水口からは10kmほど離れており、結構遠いですね。
まずは野洲川目指して1時間ほどのんびりとしたところを歩きます。左手には大きな山がそびえており、なかなかきれいな場所です。古めの家も多く並び、街道らしさがしっかりあるのもいいですね。なんか東海道を歩いている気がします。
さて、野洲川を渡ります。この野洲川は水口の辺りでは横田川と呼ばれ、『横田の渡し』がありました。今は舟がないので、横田橋へ迂回して湖南市に入ります。
橋を渡ると三雲の駅。駅前の道をどんどん進んでいきます。この三雲から石部に至るあたりは忍者の猿飛佐助で有名な三雲城やこの辺りにしか生えない松で、根元から分岐する非常に珍しい松である『うつくし松』などみどころが多いです。
ただ、東海道から30分ほど離れるのでなかなか行きにくいです。
石部宿
さて、小さめの川を越えて、石部宿まで来ました。51番目の宿場であり、2件の本陣、32軒の旅籠がありました。中規模の宿場って感じでしょうか。
京都からちょうど1日歩いたところにある宿場なので(とはいえ36kmもありますが)、「京立ち石部泊まり」と言われていました。
ただ、本陣などの古い建物はあまり残っていなくて残念。
石部宿から草津
石部宿を出るとしばらく線路沿いを歩いていきます。このあたりは石部金山があったところで、銅や石灰などが採掘された場所でした。金山とはいえ、金はとれなかったようですね。
ちなみに東海道はこのあたりで山を通る上道と草津線沿いの下道に分かれています。下道はより古いのですが、野洲川の氾濫のために上道が作られました。野洲川がすぐなので、氾濫するとした道は完全に水没するでしょうね。
しばらくすると栗東市に入り、三上山を右手に見ながら進んでいきます。
以前に三上山に上りましたが、東海道から見る三上山もとってもきれいですね。この辺りではとても目立つ山なので、昔の人もきっと三上山の話をしたんでしょうね。
手原のあたりは東海道沿いの家には古い看板がかかっています。古めの家が並んだ街道らしい雰囲気が続きます。途中、手原駅周辺を通っていきます。
手原を出ると、草津まではもうすぐです。この辺りは目川と呼ばれ、田楽の発祥地としても知られています。東海道を行きかう人も、目川では田楽と菜飯を食べるのが習慣でした。今では田楽のお店がないのが残念。
その様子は東海道名所図会に描かれ、かなりにぎわった場所のようですね。
草津宿
さて、草津の駅の直前で草津市に入り、国道1号線を超えて草津の中心地に入ります。中心地が近づくにつれ、かなり開発された町であることがわかるのですが、東海道沿いはそれでも古い建物が多いです。
草津川を通りますが、天井川だったこともあり、度々氾濫していたので流路が付け替えられました。昔はこの草津川を渡っていたようですが、徒歩で川の中を渡るのが一般的だったようです。
さて、水口からなかなか遠かったですが、草津に着きました。ここで東京から続くもう一つの大きな街道、中山道と合流します。合流するところには4mほどもある大きな道標が立ち、「右 東海道いせみち 左 中仙道美のぢ」と刻まれています。
合流するということもあってか、この草津宿はとても大きい宿場町になっており、海道で最大規模を誇る本陣も残っています。
草津といえば、うばが餅が有名なので、お土産に買って帰ろうと思います。
東海道ももう終わりに近づいてきました。次はこの草津から大津まで向かいます。
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