天王寺七坂を歩く【夕陽丘】
現在の大阪市の大半は平らな地形になっており、坂はほとんど存在しませんが、上町台地の辺りは周りと比べ高くなっているので、平野から大地に至る様々な坂がかかっています。また、上町台地の上には多くの寺院が存在しており、大坂でも有数の歴史スポットとなっています。
天王寺七坂
2000年ほど前、大阪の大半は海の底でした。そんななかでも上町台地の辺りは周囲より高いところにあり、上町台地よりを境に海が広がっていました。住吉大社や大阪城など有名な歴史スポットはほとんどこの上町台地にあります。
周りを海に囲まれていたので、夕日が美しいスポットとして有名でした。中でも藤原家隆はこの夕日に感銘を受け、夕陽庵を作り晩年を過ごしました。
天王寺七坂はそんな上町台地にかかる坂のことです。中でも上本町の生国魂神社から天王寺の一心寺までの部分に天王寺七坂があります。
真言坂
真言坂は大阪七坂のうちでも最も北に位置し、生國魂神社の北門へと続く坂道です。長さはわずか30mほどの坂道です。
上本町の駅から歩いて15分ほど。難波駅からも千日前通りを歩いて30分ほどで、散歩がてら来ることができます。
その名前の由来は、生国魂神社の神護寺である生玉十坊が栄えており、それらの寺院が真言宗だったことによります。今ではそんな神護寺もなくなってしまい、両脇を完全にマンションに囲まれています。
真言宗は千日前通りから続く坂道ですが、千日前通りが作られたことで、坂はずいぶんと短くなってしまったようです。
源聖寺坂
源聖寺坂は松屋町筋から延びる坂で、石畳がとても趣のある坂になっています。
名前の由来は坂の登り口の左に源聖寺という寺が位置しているから。この源聖寺のあたりから、急に寺が増え始め、この坂付近にも非常に多くの寺があります。坂を上りきると、左手に齢延寺があり、通天閣の名付け親である藤沢東畡・南岳父子らの墓があります。
坂を上がってくると、お寺が並ぶ通りがあります。秀吉は大阪城築城の際に、南部の防衛として上町台地に寺を集めたと言われています。大阪と聞いてお寺を想像する人はあまりいないと思いますが、大阪はお寺の数が多いです。
口縄坂
口縄坂も同じく、両側を寺に挟まれている坂で、とても風情がある坂です。
名前の由来は坂の起伏が口縄(=蛇)に似ているからなんだとか。昔は坂の下から見てみると、かなり起伏にとんだ坂だったんでしょうか。あの大阪が誇る作者である織田作ノ助が天王寺七坂のうちで最も好きだった坂らしい。
愛染坂
愛染坂の名前の由来はもちろん、愛染堂につながるから。
写真ではわかりにくいがかなり勾配がある坂だ。
愛染堂は正式には勝鬘院愛染堂と言い、聖徳太子が建てた四箇院を起源とした歴史あるお寺です。愛染堂の多宝塔は大阪市内で最も古い建築物として知られており、毎年盛大に行われる愛染祭は大坂三大夏祭りのうちの1つです。
ちなみに愛染堂のすぐ近くには大江神社もあり、ここから見る夕日もきれいなのですが、境内には狛虎がある摂社があり、虎ファン御用達の神社として知られています。
清水坂
清水坂はほかの坂と比べるとすこし短い坂。この清水坂は最初から最後まで全て階段になっています。
名前の由来はこの坂を上がりきったところに清水寺があるから。この清水寺は京都の清水寺を模したもので、夕日がきれいに見える清水の舞台や大阪で唯一の滝『玉手の滝』があります。今では高層ビルに囲まれ、夕陽があまり見えませんが、昔は綺麗に見えたんでしょうか。
天神坂
天神坂もまた風情のある坂です。坂の始まりには、大坂の陣で大活躍した真田幸村が命をおとした場所である安居天神が位置しています。
この辺りは豊富な湧き水が多数あり、安居天神には癇鎮の井戸と呼ばれる井戸がありましたが、今では枯れてしまったようです。なお、この天王寺の辺りには今でも湧き水は多いです。
逢坂
逢坂も天王寺七坂の1つです。聖徳太子が、物部守屋が仏法について議論を合わせた場所なので、合坂から逢坂になったと言われています。
国道25号線となっているので、あまり風情のようなものはないのですが、坂の始まりには文楽『摂州合邦が辻』の舞台にもなった合邦辻閻魔堂や真田幸村が最期を遂げた安居神社、坂の上に一心寺があり見どころは多いです。
この国道は天王寺動物園や通天閣や四天王寺へと続く道なので、この辺りを観光していたら、おそらく知らないうちに歩いているのかも。
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