千本釈迦堂【国宝の本堂とおかめで有名】
京都は応仁の乱によりめちゃくちゃになり、多くの寺は焼き尽くされてしまいました。応仁の乱が京都にもたらした影響は非常に大きく、応仁の乱で西軍の山名宗全が陣を張った地は今でも西陣という名が残っています。しかし、この応仁の乱の中心地とも言える西陣からほど近いところに、応仁の乱を生き残った奇跡のような寺があります。それが千本釈迦堂(大報恩寺)です。
千本釈迦堂
千本釈迦堂はそれほど大きい寺ではありません。境内には塔や庭園などもなく、本堂とほかのいくつかの小さな堂があるだけのかなりシンプルなお寺です。本堂は生き残ったようですが、そのほかのお堂は応仁の乱で焼かれてしまいました。
入るとすぐに大きな本堂があります。大きさもかなりのものでとても立派です。この威厳で兵士らを圧倒していたんでしょうか。
目の前に見える本堂は1227年建立のもので、最初に建立された本堂がそのまま現在まで存在しており、和洋建築として京都を代表するものです。なお、同じく国宝として有名な三十三元堂の本堂よりも若干古く、本堂としては京都最古のものと言えます。
このお寺に入るのは無料ですが、国宝の本堂に入りたい場合は600円が必要となります。 本堂には釈迦堂という名からもわかるように、釈迦三尊像を祀ります。創建当初からのもので、残念ながら秘仏となっています。
そのほかのスポット
摂社・末社
あ。珍しい奴禰(ぬね)鳥居がありますね!! 鳥居の額束の文が「ハ」の字になっているのがわかりますか? こういった鳥居を奴禰鳥居と言い、非常に珍しい鳥居です。
おかめさん
国宝の本堂も気になるところなんですが、それと同じくらいに目立つのがおかめの像です。この千本釈迦堂はおかめの伝説でも有名な場所です。
じつはこのおかめ、本堂建築で棟梁をつとめた長井飛騨守高次の妻とされています。彼女はある日夫が工事で設計ミスをしてしまい、木を短く切ってしまいました。それに対して斗組を補ってやればいいんじゃない、なんて気軽に助言をし、その案で本堂は完成してしまいました。しかし、せっかくのお寺が女性の助言で建てられたなんてばれたら棟梁の顔に泥を塗ると思い、おかめは完成日の前日に自ら命を絶ってしまいました。このおかめのエピソードは人の心をひきつけ、こうやって銅像が建てられました。
この顔は日本では『おたふく』や『おかめ』という顔でよく知られていますね。昔の日本ではこういったふくよかな人が人気だったんでしょうね。しかし、外国人から見るとちょっと怖い顔のように見えてしまいます・・・。
千本釈迦堂のアクセス
住所 |
京都府上京区七本松通上ル溝前町
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行き方 |
千本今出川バス停から徒歩2~3分。千本今出川に行くバスは51, 59, 201, 203, 101, 102系統 です。本数も多数あります。
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拝観時間 |
9:00~17:00
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拝観料 |
600円 (本堂内部)
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そのほか |
千本釈迦堂の付近には北野天満宮や大徳寺など有名寺社が多く存在します。釈迦堂拝観後にいろいろ行ってみるのもいいですね!!
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