六波羅蜜寺【西国三十三観音第十七番札所】
西国観音霊場ももう満願に近づいてきました。今回は西国三十三観音第十七番の札所、六波羅蜜寺です。京都の町中にあるお寺で、その素晴らしい仏像コレクションもまた大きな見どころです。
六波羅蜜寺
祇園四条の駅から歩いてすぐ六波羅密寺に着きます。周りには本当寺お寺が多い地域です。ちなみにこの辺りの六波羅という地区は鳥辺野という風葬・鳥葬地の入り口にあり、この世とあの世の境となる場所とされてきました。お寺が多い理由にはそういったことも関係しているのでしょう。
六波羅密寺は963年、空也が平安中期に建立した寺『西光寺』が起源です。
空也は醍醐天皇の皇子であり、高貴な身分でありながらも、疫病が蔓延する京都を十一面観音像を手押し車に乗せ、念仏を唱えながら町を回って、茶などを与え、民衆を救おうとしました。
また鎌倉時代になると、念仏が禁止されますが、人々は踊りながら念仏を唱える「踊躍念仏」でを行いましたが、これは空也が始めたとも言われています。
空也亡き後、10世紀になって比叡山の僧である中信が再興し、六波羅密寺にその名を変えました。
平安時代の終わりになると、平家の平正盛がこのあたりに屋敷を構え、その孫の平清盛らの最盛期には数千軒近くも平家の屋敷がありました。
平家の没落を受け、六波羅密寺も1183年に焼失しています。
お寺はかなり小さく、入るとすぐに本堂があります。本堂は1363年に建てられたもの。応仁の乱では燃えなかった貴重な建築の1つです。ただ、1969年に朱色を塗りなおしているので、ずいぶん新しく見えますが。中には国宝とされる空也作の十一面観音像が祀られているのですが、12年に1度の公開となっています。。
宝物館
京都のお寺には多くの宝物館がありますが、六波羅密寺は応仁の乱で燃えなかったことも幸いし、かなり古めの仏像が残っています。それほど大きな宝物館ではないのですが、展示されている仏像はどれもとても珍しいんですよね。仏像は大好きなので、迷わず入ってしまいました。
このうち最も有名なのが空也上人像。空也が鐘や太鼓を鳴らしながら京都の町中を念仏を唱え、歩くさまを表現したもので、念仏南無阿弥陀仏という6文字1つずつが小さな仏となり、口から出ているのが大きな特徴です。日本史の教科書でもよく見かけるのですが、実はこれは重文。国宝ではないんですね!ほかにも平清盛像などもありました。どれも感動のクオリティーです。
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