滋賀県

小谷城【浅井氏の城】

滋賀県の北部。福井県との境もほど近い小谷山の山頂付近にあるのが、浅井長政の城だった小谷城です。廃城となったので、城としての建物は残っていませんが、石垣や堀切などが残り、大規模な山城の遺構を楽しむことができます。

小谷城とは?

小谷城は浅井家の居城。もともと浅井家はこの近江を抑えていた京極氏に仕えていたのですが、京極氏が家督を争っている際に近江を奪ってしまい、浅井亮政によって北近江の小谷山の山頂上付近に小谷城が1525年に作られました。その後、久正そして、長政と3代にわたり、浅井氏は繁栄しました。

長政の時には、織田家と同盟を結び、浅井長政は織田信長の妹であるお市と結婚しました。長政とお市は浅井三姉妹(茶々,江,初)を産み、彼女らは小谷城で育ったんですよね。

茶々は秀吉の息子である秀頼に、江は京極高次に、そして初は家康の息子で二代目江戸将軍の徳川秀忠に嫁いでいます。

浅井長政とお市の像
浅井長政とお市

しかし、織田信長が浅井家と長い間盟友だった越前の朝倉氏を滅ぼそうとしたことで、浅井長政は朝倉を選び、信長に反旗を翻します。一時は信長が撤退しますが、再び近江にやってくると姉川で衝突。この戦いで朝倉は敗北し、浅井長政も敗北。結局、小谷城は陥落してしまいました。

今では城の建物は残っていないものの、近江の山城としてとても有名で、多くの歴史ファンが訪れるスポットになっています。

小谷城

小谷城から番所跡まで

さて、そんな小谷城ですが、河毛駅が最寄り。長浜からいくつか乗ったところにあります。そして、駅から15分ほど歩いた戦国歴史資料館という博物館から山の上にあるお城へと登ります。

博物館は山に挟まれたところにあり、ここが清水谷で、普段の屋敷があったところです。

小谷城の山
正面の山全域が小谷城です。

戦国歴史資料館から番所跡まではバスもあり、車で上がることもできますが、せっかくなので一番下から歩いて向かいます。番所跡までは1.5kmです。最初は坂が結構きつく、ごつごつしていて登るのが大変です。特に番所跡までは特に曲輪があるわけではないので、ただ山を登っているだけの気分になります。

登山は好きなので苦痛ではありませんでしたが。

戦国歴史資料館
戦国歴史資料館。ここから登っていきます。
間柄峠
どんどん登っていきます。森って感じよりも、開けた道が多いです。
虎御前山
左に見えるのが虎御前山。あそこに織田軍がいたんですよね。
伊吹山
伊吹山も。きれいだなぁ!

小谷城

さて、番所跡です。ここから城の遺構がずっと続きますが、小谷城は落城し、その遺構の多くが長浜城に移されたため、ここには残念ながらお城の建物は残っていません。しかし、山の中に作られた曲輪が広場のような形で残っており、曲輪を歩くと囲む土塁、堀切なども現存しています。そのため、山城の面白さを十分に味わうことができます。

クマが出ることがあるようで、クマ出没注意の看板がありました。ただ、訪問時には結構人がいて、クマが出るような感じではなかったですが。ちなみに、むちゃくちゃラッキーだとニホンカモシカを見ることができるようです。

小谷城の番所跡
番所跡。『クマ出没注意』の看板がありますね。
馬洗池
馬洗池。山城では水の確保が非常に重要。これは飲用水の池でしょうか。

少し登山道を逸れて、赤尾清綱跡まで行くとここが浅井長政の最後の地です。

織田信長勢であった秀吉で浅井軍の居城である小谷城を攻めます。秀吉が京極丸(本丸からもう少し上がったところ)を落とすと、本丸の浅井長政とその父久政がいた小丸が分断され、連携が取れなくなり、長政は敗北を悟ります。

最期はこの城で自刃したようですね。

浅井長政自刃の地
長政自刃の地
浅井長政家臣の供養塔
浅井長政家臣の供養塔
小谷城跡
この辺りは景色もいいです。

ここから少し上がれば黒金門。この門を抜けると大広間跡で大きな開けた地があります。山の中とは思えないほど広いスペースです。

この辺りには御殿が建ち、さらに奥には本丸がありました。どんな本丸かは資料に残っていないので不明ですが、2層のものだったことはわかっています。結構簡易なものだったんでしょうね。

黒金門
黒金門。立派な門があったのでしょう。
大広間
大広間
大広間の復元図
大広間の復元図。こんな図がそれぞれの曲輪にあるので、とってもわかりやすいです。
本丸の石垣
本丸の石垣

本丸の背後には大きな堀切があり、本丸に入ることを難しくしているのがわかります。

大堀切
大堀切。かなり大きいです。

小谷城はこの本丸からも中丸、京極丸、小丸と曲輪がどんどん続きます。山城といえば、本丸は一番高いところに作られることが多かったように思うのですが、ここは真ん中に本丸があるんですね。

曲輪自体はつながっているので、移動はしやすいです。

京極丸
京極丸へ。京極丸が信長との戦いで最初に陥ちたところ。
小丸
小丸。長政の父である久政はここで自刃しました。

一番上にあるのが山王丸。標高400mのところに位置しています。山王というのはここに山王神社(日吉大社)が位置していたからで、この山王丸のあたりには大きな石垣が現存しています。

山王丸跡
山王丸
山王丸の大石垣
山王丸の大石垣。高さは5mほどあります。

山王丸からすこし下ったところにあるのが六坊。ここには長政が北近江の主要な寺を移動させたとあります。となると、すぐ近くの観音寺城のように、山の上にまるで大きな町が広がっていたんでしょうか。

本当にかなり巨大なお城だったんでしょうね。

六坊から大嶽城

六坊からは清水谷に沿って城を下る人が多いのですが、せっかくの山登りなので頂上まで行き、東峰を通って降りていきたいと思います。

頂上まではずっと階段が続き、なかなか大変な道です。あんまり山歩きに慣れてないとこの道はなかなかきついのかも。

六坊
六坊から左に曲がって下山することも可能です。
六坊から続く階段
階段をどんどん登っていきます。
伊吹山
伊吹山が本当にきれい。

頂上の大嶽城まで来ました。この大嶽城こそ、この小谷城を作った亮政が初めに城を作った場所とされています。

やはり城のような建物は残っていないですが、北側に二重堀切なども残り、なかなか見ごたえがあります。

大嶽城跡
495mです。そんなに大きな山って感じではないですね。
二重堀切
二重堀切。堀切が2つ並んでいます。北側の土塁を超えたところにあります。

ここからさらにまっすぐ道を進み、独立した砦の福寿丸や山崎丸を経由して、山を下りていきます。

ただ、まっすぐ行く人は少ないようで、かなり静かな山歩きです。おそらくクマが出るとしたら、ここなのかなって感じがします。とはいうものの、かなり整備されているので、ルートがわかりにくいところはなかったです。

福寿丸や山崎丸を経由すると、ここから麓までは1時間ほど。戦国歴史資料館のすぐ近くの清水神社あたりに出てきます。

山から下る道
ここも開けた山道。わかりにくいところはないです。
山崎丸
山崎丸。土塁が残っていて迷路に見たいになっています。
小谷城の出口
ここに出てきます。

さて、ということで小谷城終了です。ハイキングと史跡巡りができるのはやっぱり最高でした!!

比較的楽な山歩きでしたが、戦国の時には登城するのだけでもかなり大変だったんでしょうね。

小谷城

住所

 

 

ウェブサイト

 

 

行きかた

JR北陸本線河毛駅から徒歩20分

 

歩行時間の目安

麓から山王丸から大獄、福寿丸、山崎丸を通り清水神社まで4時間

 

入場料

無料

 

 

そのほか

☆☆☆ (近くに来たら立ち寄りたい!)

あの有名な浅井の城です。眺望もよく、ハイキングとしても最適です。

 

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