二条城【京都のお城】
京都で有名な観光名所の1つというと、やはり二条城ですね!この二条城で徳川政権が始まり、大政奉還が開かれ徳川政権が終了しました。
二条城
二条城は1603年、徳川家康が京都御所の守護と将軍上洛の際の宿泊所として作ったお城。主に徳川家の儀式の場として使われ、家康が江戸幕府を開くための征夷大将軍が天皇から与えられたのも二条城。秀吉の息子である秀頼が家康と会見したのもこの二条城なんですよね。
1626年になると、三代将軍家光によって現在の本丸にあたる部分が拡張され、現在の形となりました。しかし、残念なことに江戸に幕府があるためか、将軍が京都を訪れることは長らくなかったようです。
もちろん、二条城は家康が天下を収めたから作られたので、防衛機能はほとんど持っておらず、堀も浅く、石垣も低いです。枡形といった、侵入してきた敵を囲う施設もほとんどありません。
二の丸御殿
東大手門、唐門と入って城内です。
さらに、唐門をくぐったとに出てくるのが、国宝の二の丸御殿です。この二の丸御殿は書院造りという武家住宅の建築様式によって建てられており、桃山時代に作られた大広間や黒書院、白書院など33もの部屋から構成されています。
御殿は創建当初のままであり、御殿が残るお城は非常に珍しいですね!!
内部には屏風画があり、それぞれの障壁画が部屋の用途に合わせて描かれています。
また、二の丸御殿からは立派な庭園が見えるようになっています。庭園は家康が二条城を作ったときに作られたものです。
さまざまな岩があり、二の丸御殿のそれぞれの部屋からはかなり異なった風景に見えるように作られているのがポイント。ごつごつした岩が多く、力強い感じですね。
ちなみに、二条城には二の丸御殿以外にも本丸御殿もあります。本丸御殿は家康ではなく、家光が二条城を拡張した際に作ったものなんですが、残念なことにに1788年の市中の火事で本丸御殿は焼失。
現在ある本丸御殿は明治期に京都御所よりうつされた公家屋敷です。なので、二の丸御殿とはかなり趣が異なるんですよね。
天守閣
ちなみに、お城と言えば天守閣ですね。ただ、二条城には天守閣はありません。もともと郡山城から移された天守があったのですが、さらに大きな城を作るために今度は伏見城から天守を移築。五重の立派な天守だったようです。
しかし、この天守は残念ながら1750年の落雷で天守閣が完全に消失してしまい、その後も建てられていません。現在はその石垣が残るのみです。
登ると京都の町並がよく見えますが、昔の天守閣もきっと京都の町中でめだつものだったんでしょうね。
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