京街道を歩く1: 京都~八幡
東海道が京都に着く直前に、東海道から分岐して大阪へ向かう街道が京街道です。今ではそれほど有名な街道ではなくなってしまっていますが、昔は東海道の一部と考えられ、多くの人が歩いた道でした。
京街道を歩く1:京都~八幡
小野へ
京街道が始まるのは追分。山科駅から東海道を歩いて20分ほどのところにあります。または、京阪京津線の追分駅前すぐです。ちょうどのこの辺りは京街道が大津市と京都市の境になっています。
京街道を通ると京都の市街地は通らないので、この辺りは大津街道ともよばれています。
しばらく行くと、地下鉄小野駅まで来ます。この小野には小野小町のゆかりであり、梅の名所でもある隋心院や勧修寺があります。残念ながらまだ朝早すぎてまだやっていませんでしたが、両方とも京都ではとても有名なお寺なので、寄ってみてもいいのかも!
伏見へ
小野からはここから峠を越えて、いよいよ伏見へと行きます。大岩神社のある大岩山の麓を通るので、大岩街道とも呼ばれています。
山を越えるので、坂がどれだけきついのかをいつも心配してしまうのですが、実はここの峠はものすごく楽です。坂とよばれるような坂もほとんどなく、そもそも峠を過ぎたことすら気づかないような道です。
実は山科から逢坂峠を越えて京都へ向かうJR東海道線は元々ここを通っており、1921年に現在のルートに変わりました。今では名神高速のみがここを通りますが、昔から越えやすい峠だったんでしょうね。
どっかで一度歩いたことがあるような気がすると思えば、この辺は伏見・深草トレイル(京都一周トレイル)で歩いた場所です。一周トレイルの地図にはここが京街道であることは書いてなかったのですが、実は歴史的な道だったんですね!!
もう少しで伏見かなというところで、墨染に着きます。墨染には墨染寺があり、墨染という名前は平安時代に藤原基経が亡くなった時、桜が喪に服すかのように墨のように黒く染まったことから来ています。
ちょうど墨染のあたりで、京都の五条から下ってくる伏見街道とも合流します。ここまで来ると一気に人が増えてきますね!!
伏見宿
墨染から15分ほど行くと伏見です。伏見は古くは秀吉の伏見城に始まり、徳川家康も伏見城にいたことがあります。江戸時代には幕府直轄の場所として、大きく発展しました。また、伏見はもともと伏水という名前からきており、水がきれいな場所であるため、関西でも有数の酒造りの場所でもあります。
この伏見は京街道の宿場町です。
伏見で忘れてはいけないのが、その水運。伏見には伏見港と呼ばれる大きな港がありました。
実は大阪へ向かう人の多くはここから船に乗って宇治川そして淀川へ入り、大阪で上陸しました。そういえば、東海道中膝栗毛でも大阪まで船に乗っていましたね。実は熊野詣での時も天皇らはここから渡辺津(天満橋)までは陸路ではなく船に乗りました。
やっぱり昔の日本の発展には水運の良さが欠かせなかったんでしょうね。
伏見から淀へ
伏見からは京街道は宇治川沿いに土手を歩いていきます。八幡まで行けば、宇治川が木津川などと合流し、淀川になります。土手なので、歩いていて気持ちいですね。散歩している人が多いです。
淀
宇治川を進むとすぐに淀に着きます。淀も京街道における宿場の1つですが、伏見が近いこともあるので、それほど大きな宿場ではなかったようです。とはいうものの、駅前には大きな淀競馬場。そして、淀城跡もあり、歴史がある街であることがわかります。
淀から八幡
淀を出ると、住宅地を通りながら八幡へと向かいます。少し風景が田舎になっていますが、京街道の中で田畑が見られるのはわずかにここだけ。京都大阪間は完全にベッドタウンになっており、こういった田畑はもうほとんど残っていません。
ということで、とうとう八幡まで来ました。歩いて7時間ほどで、約20km。伏見の町並みをはじめ、見所はやっぱりかなり多いセクションでした。次回は守口まで歩こうと思いますが、楽しみです。大阪まではあともう30km程度です。
なお、ここで東高野街道が分岐します。大阪の河内地域を南北に縦断するとてもユニークな街道で、高野山までつながります。
しかし、八幡というとやっぱり石清水八幡宮ですね。石清水八幡宮は山の上にあるので、歩いてさらに30分ほど(ケーブルでも行けます)。体力が残っている人向きでしょうね。
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