熊野古道・紀伊路を歩く 7:御坊~切目
さて、紀伊路もとうとう残すところあと2回となりました。大阪を出て、気がつけば紀伊田辺までは残り50kmです。紀伊路はここまで多くの峠を越えてきましたが、御坊を出ると、南紀へと入り、海沿いのきれいな道へと変わっていきます。
※紀伊路の全行程の記録や他の熊野古道の記事はこちら!
熊野古道・紀伊路を歩く7: 御坊~切目
御坊
御坊は和歌山の中部では最も大きい都市の1つであり、昔から必ず特急が止まる駅の1つです。御坊の名前からわかる通り、昔は本願寺の『坊』があるところであり、歴史も古い町です。しかし、残念なことに御坊の歴史的な街並みが広がるのは紀州鉄道の西御坊駅付近。JRの御坊駅のあたりには歴史的なものは特に何もありません
御坊駅か歩いて1分ほど東に行くと、すぐに紀伊路の続きが始まります。日高川を越えると前半は住宅地が多めです。
日高川沿いの堤防を少し歩いていくと、岩内王子(焼芝王子とも呼ばれます)があります。岩内王子からは少し道がわかりにくいですが、紀伊路の看板は意外と結構あります。とはいえ、地図がないと厳しいですね。ちなみにこの辺りは開発により、もともとあった紀伊路とは違っているようです。
塩屋王子を経て印南へ
岩内王子を過ぎて、中山の蓮池からは雑木林のようなところを抜けていきますが、林の中に紀伊路の看板がないので、これがまたややこしい。ちなみにうまくいくと、塩屋王子のすぐ手前に出てきます。塩屋王子は美人王子としても知られる神社で、この神社にある天照大御神の神像がとても美人なのだからだそうです。
ちなみにこの塩屋王子は日高川の河口に位置していますが、この日高川の河口はハマボウの群生地として非常に有名です。ハマボウは黄色い花で、開花は7~9月のようですが、10月に行ったときにはすでに終わっていました…。ちなみにハマボウは御坊市の花です。
ここら辺にあるのが、清姫の草履塚。清姫はここにある松の木に登り、安珍がすでに日高川を渡っているのを見て激怒。草履を脱ぎすて、裸足になって必死に安珍を追ったと言います。道成寺が近いからか、この辺りから紀伊路沿いに安珍・清姫にまつわる史跡がいくつかあります。
日高川の河口を過ぎると、あとは海沿いに進んでいく感じです。ちょうどこの辺りに、コンビニがありました。和歌山も中部まで来るとスーパーマーケットはもちろんのこと、コンビニもほとんどないです。本当に驚くほどないです。
上野王子を過ぎると、そろそろ御坊市も終わりに近づいてきました。御坊の次は印南町へと入っていきます。
印南
御坊市を抜けると、印南(いなみ)町。印南町に入るとすぐに畑野崎が見えてきます。紀伊路はこの岬沿いに国道をまっすぐ行く感じですが、畑野崎はその地層が有名なところでもあるので、海岸沿いを歩いて、地層を見てみることにしました。ちなみにこの南紀にはこういった面白い地層が非常に多く、もう少し南に行った白浜からは南紀熊野ジオパークに登録されています。
畑野崎から国道へと上がるとすぐに叶王子です。高台になっているので、ここから印南の町並みがよく見えますよ!!
印南の町並みを抜けると、斑鳩王子です。斑鳩というと奈良の斑鳩を想像してしまいますが、それとはあまり関係ないようですね。昔は富王子ともよばれていたようです。この王子は数ある王子社の中でももっとも古い王子の1つです。
斑鳩王子からは国道沿いを歩き、切目へと向かっていきます。切目王子まではわずか20分ほど。今日のゴールはもうすぐです。
切目へ
さて、切目王子に到着しました。この切目王子は五体王子と言われ、最も大きな王子のうちの1つでした。今でも大きな神社が残っています。
この切目王子はさまざまな歴史の舞台になり、中世にはここで歌会が行われ、太平記ではこの切目王子で後醍醐の息子の護良親王が滞在し、ここで十津川に行くようにという宣託受け、十津川で多数の味方を見つけ、ともに戦ったとも伝えられています。神社の裏側に行くと、その護良親王が滞在した碑があります。
さて、この切目王子から歩いて数分行けば、JR紀勢本線(きのくに線)の切目駅です。電車は普通しかとまらず、1時間に1本しか来ないですが、紀伊田辺以南は2時間に1本程度であることを考えると来るほうなのかも。
さて、とうとう次は紀伊路の最終回。紀伊田辺を目指します!!
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