大阪府

紀州街道を歩く 3: 堺~岸和田

大阪と和歌山をつなぐ紀州街道。今回は浜寺から泉州のコア地域である泉大津を抜け、岸和田まで向かいます。かなり見どころの多く、泉州地域の雰囲気を存分に味わうことができる街道です。

紀州街道 3: 堺~岸和田

堺から浜寺へ

さて、前回は大阪から住吉大社を通って大和川を渡り、堺まで歩きました。今日は堺を抜け、泉州最大の都市である岸和田までを歩きます。

堺では紀州街道は南北を貫くメインストリートの大道筋を抜け、小さな道へと入っていきます。

堺からは街道らしい道を歩きます。
石津太神社。12/14に「やっさいほっさい」という火渡りが行われることで有名です。
石津川のほとりには、北畠顕家の供養塔があります。顕家はこの辺りで戦死しました。

堺を抜けると結構住宅街といった感じでしょうか。堺からだいたい30分ほど歩くと浜寺公園に到着です。

浜寺公園は大阪でも最も古い公園の1つで、松がきれいな公園です。特に、千両の松、白蛇の松、そして羽衣の松は浜寺三名松と言われ、美しい松として知られています。

浜寺は昔は海水浴場として人気です。それ以外にも、大久保利通が立ち寄った際に公園内の松を切らないよう嘆願したり、日ロ戦争時はロシア兵の収容所になったり、そして太平洋戦後はアメリカ軍用の住宅地として接収されたりと、様々な歴史がある公園です。

今では家族連れが賑わう公園として人気のスポットになっています。

浜寺公園は名松100選に選ばれた松が美しい公園です。
惜松碑。大久保利通のおかげで今の松が残るんですよね。
浜寺公園の前には砂浜ではなく、漕艇場のコースが広がります。

浜寺公園の前からは阪堺電車が天王寺まで乗ることができ、南海電車もあります。

南海の浜寺公園駅舎は1907年にあの辰野金吾によって建てられた私鉄最古の駅舎です。東京駅もデザインした辰野金吾。かなりデザインの費用がかかったんでしょうね。

残念ですが、高架工事に伴って数年前から使われなくなったようです。ただ、壊すのはあまりにももったいないからでしょうか、保存されています。

辰野金吾の建立の浜寺公園駅

高石を通って泉大津へ

浜寺からは公園の前の大きな道(旧国道26号線)をしばらく歩いていきます。浜寺公園の中を歩いてもいいのかも。この辺りから高石市です。高石市は小さな市なのですぐに抜けてしまいます。

高石市には紀州街道沿いに特に何か目立ったものがあるわけではないのですが、羽衣駅や高石駅の付近は再開発され、とってもきれいに生まれ変わりました。

その昔、浜寺と呼ばれるお寺がここにあったんですよね。
紀州街道に架かっていた伽羅橋。紀州街道から2~3km離れた公園で保存されています。

ちょうど高師浜線の高架を過ぎたあたりに高石神社があり、そこからまた細い道へと入っていきます。このあたりが昔の高石市の中心地で、市役所や体育館といった施設がありました。

またこの高師浜の辺りは高級住宅地とされたところで、今でも紀州街道から一本逸れたところには昔を思わせるようないくつかの大きな邸宅があったりします。

高石神社
おっきなお家だなぁ!!

助松までくると、田中本陣があります。この田中本陣は田中家という大庄屋の家で、和歌山にいる紀州藩の参勤交代の際に休憩所として使われていたと言います。かなり大きなおうちですね。今でも誰か住んでいらっしゃるようです。

ずーっと向こうまで邸宅が広がります。

泉大津

助松の本陣があるあたりからは泉大津市に入ります。昔から『おづ』と呼ばれており、更科日記や土佐日記などの文学にも登場する歴史ある街です。

また、泉大津は江戸時代には綿花の栽培で、後に綿花を加工する繊維産業で栄え、明治以降には毛布の町として知られました。今でも国産毛布の90%がこの泉大津で作られているのですが、今は残念ながら毛布と言うと安価な外国産がメインということもあって、毛布工場の数はずいぶん減ってしまいました。

泉大津商店街。ほとんど閉まっています。泉州の商店街はどこもこんなもんです。
大津神社。
昔ながらののこぎり屋根の工場。
ロシア兵墓地。戦争時に収容されたロシア人のお墓です。

紀州街道は泉大津の駅近くから泉大津商店街を抜けて大津川へと向かいますが、実は泉大津で発展しているのは、紀州街道に並行して一本奥の海側を通る浜街道です。

この浜街道には多くの古い建物が残り、昔ながらの泉大津の景色を作り出しています。

『浜街道』と書かれている道を入っていきます。
浜街道の町並み。
結構趣があります。
南溟寺。大津城があった場所です。

大津川を渡ると忠岡町。ずっと住宅地ですが、見どころも結構あるので、苦にならない感じです。

ちなみに、この大津川沿いの河口のところに、オーツタイヤという大きなタイヤの会社がありました。今でもあるタイヤのFALKENはこのオーツタイヤの看板商品だったんですよね。

今ではオーツタイヤはなくなってしまいましたが、住友ゴム工業として稼働しています。

大津川。大きな川です。

忠岡町を経て岸和田へ

そして、忠岡町。岸和田ももうすぐって感じです。その昔、源平合戦の時代に平忠度の子である忠行がこの地で戦死。村人が手厚く葬り、「忠行の丘」と読んだことから、忠岡という地名になりました。

忠岡町は日本一小さい町として知られており、面積が何と4平方キロしかありません。さらには東西に細長いので、南北を行く紀州街道は、歩いてわずか10分ほどで忠岡町を抜けます。

永福寺のびゃくしん。樹齢は1400年といわれています。

そして、知らないうちに岸和田市。岸和田の中心地もどんどん近づいてきました。

市境のあたりは岸和田市の春木と呼ばれる地区ですが、やっぱり春木で有名なのは岸和田競輪と鳥羽一郎の『泉州春木港』ですね。紀州街道からは少し離れますが、春木港には歌碑が建てられています。

泉州春木港。大阪演歌定番の1曲です。

春木川には永守橋が架かりますが、この辺りは昔は東洋紡の春木工場などがあり、多くの労働者が住んでいたところでした。今では、URなどのマンションに変わっており、紡績工場も全く残っていません。

弥栄神社。春木のだんじりはみんなこの神社に宮入りします。
西福寺。なんとも趣がある参道です。
春木川。今ではひっそりとした住宅街です。

岸和田

さて、今日のゴール岸和田まで来ました。岸和田と言えばだんじり祭で有名なところですね!!年中だんじりを見ることができる『だんじり会館』もあります。

そんな岸和田は岸和田城を中心とした城下町で、泉州地域の最大の都市です。近代化してからは寺田財閥の繊維産業で栄えました。だんじり以外にも本当にたくさんの見どころがあります。

勘太夫橋
19世紀に岸和田には岸和田煉瓦と呼ばれる大規模なレンガ工場があり、全国で使われていました。

町の中心部には明治・大正時代に建てられた西洋風建築の銀行が点在していますが、紀州街道沿いにも古い町並が残っており、街道らしい風景を味わうことができます。

旧寺田酒造。今は駐車場になっていました。
旧和泉銀行本店
岸和田中央会館。これは1925年建立

しばらく行くと、欄干橋。小さな橋ですが、この欄干橋周辺こそ岸和田の中心部と言われた場所で、道路原標もここに置かれ、他の町からの距離の基準点とされていました。

江戸時代の古くから存在する橋で、古くから石橋の珍しい橋でした。明治時代になると、ガス灯なども設置された立派な橋でしたが、今でもしっかりとその面影を残しています。

欄干橋。向かいの成協信用組合の建物は旧四十三銀行で、1920年のものです。

ということで、今日はここまで。この欄干橋を左折し、まっすぐ北に歩いていくと南海線の岸和田駅です。

駅前に広がる駅前通り商店街では岸和田らしい雰囲気を味わうことができます。アーケード付きの商店街ですが、屋根が高いのはだんじりが通れるようにするためなんですよね。

次回はこの欄干橋から岸和田城を通って、紀州街道の終点である鶴原までを歩きます。

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