笠置寺【磨崖仏】
笠置といえばキャンプ場ですが、実は笠置寺も外せないスポット。境内には巨石があり、修行場として古くから栄えた場所で、様々な歴史の舞台にもなりました。
笠置寺
笠置寺の最寄り駅はJR笠置駅。笠置は京都府ですが、京都市内からかなり遠く、奈良市内からだと関西本線で30分程度で来ることができます。
笠置駅からは笠置山を上っていきます。笠置山はわずか289mの小さな山ですが、登るのはなかなか大変。駅からさらに徒歩45分ほどかかります。
笠置寺はの始まりは1300年前に東大寺の僧らによって、大きな岩に仏が刻まれたことに始まります。この寺は巨石に囲まれており、僧らの修行地として大いに栄えました。
笠置寺は京都から逃亡した後醍醐天皇が仮宮とするなど、とても歴史のある寺なんですが、ほかのお寺と違って大きな塔や金堂などはなく、あるのは全長800mの巨石に囲まれた修行場。
結構大きな岩があり、しっかりとした運動靴じゃないと厳しいです。
修行場へ
さて、そんな笠置寺ですが、修行場と呼ばれるコースを少し進んだところにあるのが、本尊の摩崖仏。岩に彫られた16mの大きさの磨崖仏で、弥勒仏です。
伝承によると、1300年前、大友皇子がこの地で鹿狩りをしていた際に岩から落ちそうになり、もし助かることができたら、岩に立派な弥勒菩薩を刻もうと祈りました。そして、無事に助かったので、笠を置いて去り、後日ここにきて刻もうとすると、その大きさに困ってしまいました。するとそこに天人が舞い降りてきて、この仏を彫ったと伝わります。
実物を見てみると本当に圧倒されますね。本当に大きいです。どうやって彫ったんでしょうね。
後醍醐天皇がこの笠置寺に逃れた際(元弘の乱)、寺は焼け、本尊の摩崖仏も薄れてしまったようで、本当はもっとはっきりとしたものだったようです。
本尊のすぐそばの岩には千手窟と呼ばれる小さなお寺があります。
東大寺の開基である良弁はこの千手窟から弥勒菩薩の世界へと入っていき、そこで行われたていた行法を人間界へと伝えたのがあの有名な東大寺二月堂のお水取りの起源だといわれています。
現在ではお水取りは1200年間途絶えたことない、東大寺で最も有名なお祭りです。
さて、修行場はまだまだ続きます。歩いていると、眺めがとてもきれいな場所もあります。下を流れる木津川もよく見えますね。
大和高原の山々がとてもきれいです。
笠置山の頂上付近にあるのが、後醍醐天皇の行在所。1331年、後醍醐天皇は京都で2回目の討幕計画が知られることになると、この笠置寺へと逃れてきました。しかし、ほどなくして捕まり、隠岐の島へと配流されてしまいました。
しかし後醍醐天皇はどうして笠置を選んだんでしょうね。
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