伊勢本街道を歩くfinal:多気~伊勢神宮
大阪から歩き始めた伊勢本街道もとうとう三重県の多気まで来ました。今回はこの多気駅より、伊勢神宮の外宮までの約20kmを歩きます。とうとう長かった伊勢本街道もこれで最終回となりました。今回は山越えなどはなく、美しい伊勢の平野部を歩いて伊勢神宮を目指します。
※伊勢本街道の全行程の記録はこちら
伊勢本街道を歩く Final: 多気から伊勢神宮
多気
大阪から近鉄に乗り1時間半ほどで松阪駅。さらにそこからJR参宮線に乗り換え、10分ほど行くと多気です。かなり遠くまで来ているので、大阪から来るだけでもなかなかの遠さになりました。多気は特急も止まるような駅ですが、駅の周りには特に何もありません。駅から南に10分ほど歩くとすぐに伊勢本街道に合流します。
多気駅から45分ほど歩くと、森のようなところに入り伏拝坂へと進みます。伏拝坂は本街道を訪れた人が伊勢までの距離を訪ねたところ、『三里山道、五里畷』と聞き、この先のことを思って、引き返したという伝説が伝わる場所です。ここからはずっと平野部歩きなので山道は全くないのですが、昔は山道だったんでしょうか、
なお、この伏拝坂が伊勢本街道最後の峠。峠と言っても、若干山道らしい道があるだけで、急な坂はありません。この峠を出ると、玉城町に入ります。
玉城町へ
伏拝峠を越えると多気町が終わり、玉城町の棒原(すぎはら)神社のあたりに出てきます。小高い丘の上に位置する棒原神社は、その美しい神明造からもはっきりわかる通り、伊勢神宮の内宮の摂社です。内宮の摂末社は43あり、玉城町には13もあります。とうとう伊勢神宮が近づいてきている証拠ですね!!
このあたりからは、のどかな伊勢の田舎って感じです、田園がどこまでも続き、時間がゆっくり流れている気がします。のんびり歩いているといつの間にか田丸です。
田丸城
玉城町の東の方まで来ると、田丸城があります。田丸城は南北朝時代に北畠親房が作った城ですが、そのあと織田信長の次男である信雄が入り本格的な石垣の天守閣を作りました。残念ながら天守閣はなく、当時の石垣程度しか残っていません。
なお、お城の入り口に村山龍平記念館がありました。村山龍平といえば大阪で朝日新聞を興した人物。伊勢出身だったんですね。知らなかった!!
伊勢本街道から少し逸れて、お城を一番上まで登ると天守閣跡があります。残念ながら天守閣はないものの、上から眺める景色はとてもきれいです。
田丸から宮川を経て伊勢市へ
伊勢本街道はこの田丸城の城下道を何度も曲がりながら抜けていきますが、お城のすぐ近くで、熊野古道・伊勢路と合流し、ともに伊勢神宮を目指します。
なお、石碑には紀州街道とありますが、一般的に紀州街道といえば大阪から和歌山まで伸びる街道のことを指します。街道は昔と今とで呼称が違うことがあるのでややこしいです。伊勢本街道のことも初瀬街道と呼んでいるところが多々ありました。
宮川は大きな川ですが、昔はここに柳の渡しと呼ばれる渡し舟があったようです。今では渡会橋が架かり、簡単に渡れますが、大きな川だったので渡るのにはかなり苦労したんでしょう。この日も増水していましたが、昔はきっとこんな日では渡し舟が乗れなかったんでしょうね。
そして伊勢本街道の終点、伊勢神宮
宮川を超えるともうすぐに外宮です。どんどん町の雰囲気になってきました。長かった伊勢本街道の旅も終わりに近づいてきました。あっという間に筋向橋で。直向橋で東海道からの分岐の伊勢街道と合流します。関東からの人は伊勢街道を使ってきているので、ここで西日本と東日本が交わります。
そしてとうとう外宮です!!大阪から170km。かなり長い旅路でしたが、とうとう外宮に着きました。さすがに外宮まで来ると一気に人が増えました。やっぱり伊勢は人気の観光地ですね。今では大阪から近鉄電車でわずか2時間程度ですが、歩くとこんなに遠いんですね。なかなか大変だったけど、本当に楽しい旅でした。
なんか長距離の街道って、いざ終わってしまうと少し寂しいですね。なお、外宮から内宮まで古市参宮街道を歩いていくこともできます。
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