大阪府

暗越奈良街道1: 高麗橋~枚岡

大阪から奈良まで続く暗越奈良街道。途中きつい峠こそあるものの、大阪と奈良を最短で結ぶ街道として多くの人に使われてきました。

また、この道は関西から伊勢に向かう人が頻繁に通った伊勢本街道の一部です。

※伊勢本街道の全行程の記録はこちら

暗越奈良街道 1: 高麗橋~枚岡

高麗橋から玉造稲荷神社へ

暗越奈良街道が始まるのは高麗橋。今では東横堀にかかる小さな橋ですが、昔は豪商が立ち並び、暗越奈良街道以外にも京街道、紀州街道など多くの街道が始まる場所でした。

高麗橋
高麗橋。下には東横堀川が流れます。
高麗橋の擬宝珠
発掘された慶長9年(1604)の擬宝珠。

高麗橋を出ると、東へと歩き北大江公園で熊野街道(熊野古道・紀伊路)と合流。熊野街道に沿ってしばらくは南へとまっすぐ下っていきます。

背割り下水
南大江小学校前にある背割り下水。秀吉によって作られた下水道ですが、実は一部は現役で使われています。
熊野古道と暗峠奈良街道との交差点
まっすぐ降りてきて、ここで熊野古道と別れます。

谷町線の松屋町駅のあたりで熊野街道と別れると、暗越奈良街道は東へ進んでいきます。ちょうど長堀通の1本北を歩く感じです。

この辺りは上町台地と呼ばれるところで、大阪の中心部よりも若干高いところにありますが、もともと谷だったところなんかもわずかに残っているため、大阪では珍しく高低差が楽しめる道になっています。

台地上を行く暗越奈良街道
同じ台地上でもこんな坂になってます。
玉造稲荷の分社
玉造稲荷の分社。浪花講はこの辺りが発祥地です。

玉造稲荷神社

暗越奈良街道から少し北に逸れると、玉造。その名前は古代に勾玉などを作る玉造部があったことから来ています。

ここには玉造稲荷神社があります。なかなか大きな神社で、境内には豊臣秀頼が奉納した鳥居もあります。

ちなみにこの玉造稲荷神社が伊勢本街道を始まりとされており、社務所で大阪から伊勢神宮までの伊勢本街道の全行程の詳細な地図を購入することができます。

ここから伊勢までは170kmあり、ほぼ5日で到着したようです。昔の人は本当にタフですね。

玉造稲荷神社
玉造稲荷神社。ここで旅の安全を祈って出発します。
伊勢本街道の地図
伊勢まで歩くってよく考えたらなかなかすごい話な気がしてきました。

玉造稲荷からは南へ向かい、長堀通に沿って行く感じですが、すぐに小さな道へと入っていくので、道が結構ややこしいです。とはいえ、大阪市内ではこの暗峠奈良街道の看板がでているので、まだわかりやすいほう。

二軒茶屋から深江

二軒茶屋跡を超えると、いよいよ大阪市街地を離れていきます。多い時には一日ここから何万人もの人が出発したというから驚きです。

とりあえず、奈良を目指しますが、奈良から先は伊勢まで170kmを歩く予定です。果てしなく遠いです。

二軒茶屋の石碑
むかしここに「つる屋」と「ます屋」の二軒の茶屋があり、ここで見送りするのが慣例でした。
暗越奈良街道の道
ここを右に曲がって、小さな道へと入っていきます。
暗峠奈良街道の道
いろいろなところに看板があって道は結構わかりやすいです。

30分ほど歩いて、結構あっという間に今里に到着です。この辺りは大阪市内にかなり近く、ただの住宅地に見えますが、実は暗越奈良街道沿いには結構古い家とかも残っていたりして、歴史が感じられる道になっています。新旧混ざった感じがなんとも街道らしい感じ。

ちなみに、街道はまっすぐなのが基本ですが、この今里のあたり道が大きく蛇行しているのは、旧平野川の堤防を行っているからなんですよね。

今里駅
今里駅周辺。駅の辺りは大きなビルも多いですが、暗越奈良街道沿いは一戸建てが多いです。
伊勢本街道沿いの町並み
暗越奈良街道沿いの町並み

今里から千日前通りを歩いてしばらく行くと深江です。深江は菅笠の有名な地域で、伊勢音頭では「大阪離れて早や玉造 笠を買うなら 深江が名所」と歌われており、伊勢参りで必須のアイテムである笠はここで買うことが多かったようです。

街道から少し離れた深江稲荷神社に行くと、菅を育てていましたが、残念ながらこの菅笠の生産はもうやっていないようで、売っているお店を見つけることができませんでした。

菅笠の里 深江
深江といえば、菅笠!!柄杓と合わせて、お伊勢参りに欠かせないアイテムです。
深江稲荷神社
深江稲荷神社。暗越奈良街道からは少し離れています。
深江稲荷神社
深江稲荷神社では菅を育てているようです。昔はもっと大規模に生産されていたんでしょうね。

深江から東花園 

深江のあたりから花園ラグビースタジアムにかけては道がややこしいです。この深江を超えたあたりからすぐに東大阪に入りますが、東大阪市には街道を示す看板はないので、地図がないと厳しいのかも。

東大阪市は日本で一番工場が密集している地域で、なんと事業所数は6000もあるんだそう。すごいですね。ただ、暗越奈良街道沿いにはそんなになかった気がします。

 

ブランド―リ布施
ブランド―リ布施。もう布施まで来ました。
街道にある地蔵
街道なので沿道にはたくさんの地蔵があります。
長瀬川
長瀬川。18世紀に大和川が付け替えられるまでは、これが大和川でした。

しばらくは国道308号線を行きますが、時折小さな道に入っていくので地図をしっかり確認しながら進まないといけません。

国道308号線
酷道308号線に沿って行きます。この国道は暗越奈良街道に沿って奈良まで向かいます。
おかげ灯篭
おかげ灯篭(1831)。伊勢街道にはおかげ参りの人たちが奉納した灯篭が多くあります。

さて、ようやく東花園のラグビー場まで来ました。最近ではラグビーワールドカップの会場にもなり、高校ラグビーの全国大会が毎年開かれる有名なラグビー専用スタジアムです。

実はここに来たのは初めてなんですが、周囲は公園になっており、長居公園みたいな感じです。近くにはコンビニもあるのでここで休憩するといいのかも。

花園ラグビースタジアム。
花園ラグビースタジアム。大きなスタジアムです。
ラグビー神社
ラグビー神社として知られる吉田春日神社
ラグビースタジアムからの眺め
生駒山地も見えてきました。あの山の麓が枚岡神社。そして越えれば奈良。

ちなみにこのラグビー場のあたりで暗越奈良街道は松原宿を通過します。ラグビースタジアムのすぐ北にあるので、スタジアム内を歩いていると見逃してしまうかもしれないので注意です。

松原宿は暗越奈良街道にある唯一の宿場町で、以前はここに多くの宿があったようです。現在はその景色は全く残っておらず、今は普通の住宅街って感じです。旅籠は20件程度しかなったようで、そんなに大きな宿場でもなかったみたいですね。

暗越奈良街道の松原宿
松原宿。今では普通の住宅街って感じです。
松原宿
奈良街道ではなく大坂道なんですね。

東花園から枚岡神社へ

東大阪もだいぶ東の方まで来ました。道があっているのか疑問な時もありますが、道沿いに地蔵やらがあるのでおそらくあっているんでしょう。東高野街道との合流地点である箱殿の交差点過ぎると、少しゆるやかな坂を上っていきます。ちょうど生駒山地への登りが始まった感じなんでしょう。

水走の看板
水走 ってかいて、「みずはい」って読みます。
東高野街道と暗越奈良街道の交差点
ここで東高野街道と合流。東高野街道は結構山際にあるんですね。
枚岡神社への登り
枚岡神社への登り。
子安地蔵
子安地蔵。ここから奈良までずっと国道308号線です。

坂をのぼると今日のゴール枚岡神社です。枚岡神社は河内の一宮神社で奈良の春日大社と深いかかわりを持つ由緒正しい神社です。全員で大笑いする『お笑い神事』や粥占神事などイベントも多く、梅の名所として『日本のかおり風景100選』のスポットとしても知られています(ウメ輪紋ウイルスを理由に伐採されましたが、近く復活予定だそうです!!)。

枚岡神社
枚岡神社。河内地域で最も大きな神社です。

さて、玉造稲荷神社から出発してほぼ4時間で到着しました。いろいろなところに立ち寄っていたら結構時間がかかってしまいました。ただ歩くだけなら、10キロほどで高低差もほぼ全くないので2~3時間ぐらいで着くと思いますが、普段来ないようなところなので是非いろいろ行ってみたいですね!!

近鉄電車の枚岡駅も枚岡神社のすぐ前にあり、頻繁に電車が来ます。暗越奈良街道はここから暗峠への登りです。次は暗峠を越えて、近鉄南生駒駅まで歩きたいと思います。

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