飯盛山城に登る【四条畷神社から野崎観音へ】
奈良と大阪の県境に立つ生駒山地。その生駒山地の北端にあるのが飯盛山です。この飯盛山は初心者向けのハイキングの場所として人気な山ですが、この山の頂上に戦国武将である三好長慶が築いた飯盛山城があったことでも有名です。
飯盛山城の歴史
飯盛山城の歴史は鎌倉時代の終わり楠正行が戦った四条畷の戦いにまでさかのぼります。しかし、本格的な城となったのは畠山義尭の家臣の木沢長政が居城とした1531年の時。
しかし、木沢は細川晴元と組んで、義尭の守護職の座を奪おうとしたため、義尭は三好元長(長慶の父)と共に飯盛山城を攻撃。長政は山科本願寺に便宜を図り、義尭と元長は自害。しかし、長政と晴元の仲が悪くなると、晴元と長慶が木沢長政を倒しました。戦国時代なので裏切りなどが相次ぎ、かなりややこしい感じです。
その後は安見直政が城主となりますが、1560年に三好長慶は芥川山城を嫡男義興に譲ると、この飯盛山城へと移りました。
長慶が飯盛山城で1564年、42歳で亡くなると、城は三好吉継へ。三好氏が織田信長に降伏すると、まもなく信長によって飯盛山城は廃城となってしまいました。
飯盛山を登り、飯盛山城へ
飯盛山城は山城なのですが、頂上まではハイキングコースがしっかりと整備され、大阪でもかなり人気のハイキングスポットになっています。今回は四条畷神社から飯盛山城を経て野崎観音(慈眼寺)へと下るコースで、距離としては5km程度です。とはいえ、城の遺構は急峻なところにあったりするので、ちゃんとした靴が必要です。
なお、山頂部には城の遺構が多く残るのですが、登山道には遺構を説明する看板はほとんどなく、縄張図を持っていないと見逃してしまいそうでした。お城を見たい場合は地図をダウンロードしてから行くようにしたほうがいいのかも。
四条畷神社
さて、ということで飯盛山城への道は四条畷神社から始まります。楠正行は1348年にこの四条畷で高師直と戦い、戦死。その四条畷の戦いを記念して建てられた神社です。
境内まではかなり長い階段が続き、すでに結構大変です。
飯盛山を登る
飯盛山城への道は神社のすぐ脇にあります。最初は結構な上り坂になっているのですが、それほど大変さはないのかも。ここから頂上まではわずか1.5kmほど。山城は必ず麓から登るようにしているのですが、ほかの山城と比較するとかなり短い方ですね。
そういえば、大阪には南部の岬町にも飯盛山があるのですが、それとはずいぶん離れた位置にある山なので、注意が必要です。
頂上が近づいてくると、郭が出てきます。飯盛山城は南北700mにもなる城で、いくつもの郭がどんどん出てきます。
見晴らしがよくなっていきます。特にこの飯盛山は生駒山地の北端に位置するので、大阪、神戸、淡路島はもちろんのこと京都盆地まで見えます。長慶がこの城に決めたのも、おそらく彼の勢力であった地域が一望でき、防衛上非常に優れていたからなんでしょう。ここから南北にかけて複数の郭が展開し、お城の遺構を見ることができます。
飯盛山城
飯盛山城で見るべきなのはその石垣ですね!!これまで本格的な石垣が作られたのは信長の作った安土城だとされていたのですが、最近の研究で安土城よりも飯盛山城の石垣の建築が早いことが判明しました。ただ、本当に自然石をかなりくみ上げただけのようなので、今では崩壊しかけのところも多いです。山は東側の斜面の方が緩やかなようで、現存する石垣は東面に多く存在しています。
頂上まで来ると、さすがに人気の山ということもあって混雑していました。山頂は本丸展望台郭で、展望台があります。頂上からの景色はとってもきれいですよ。高さは314mです。
頂上には楠正行の像が建ちます。三好長慶ではないんですね… ぜひとも、三好長慶の銅像も建ててくれませんか!!
飯森山城から野崎観音へ下る
さて、この後は野崎観音までだいたい1時間ほど。途中で厳しい坂はあるんですが、全体としては比較的歩き安かったです。 いくつか下る道があるようですが、竹藪のコースは台風の影響か、道が悪いようなので注意です。
途中の広めの広場は千畳敷郭。この千畳敷郭が最も大きな郭であり、居館の空間だったようです。今ではラジオの塔なんかが建っていますが。
頂上から野崎観音までは1時間半程度。四条縄神社から登った時よりも、勾配は比較的緩やかな気がします。
さて、野崎観音まで降りてきました。だいたい3時間ほどで終了です。飯盛山城はなかなか楽しめた山城でした!!
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