福知山城【明智光秀のお城】
福知山といえば、北近畿最大の都市ですが、実はこの町、あの織田信長を暗殺した明智光秀が大きく発展させた町なんです。そんな福知山の中心地の小高い丘の上に、町を見おろすように明智光秀が作ったとされる福知山城がそびえたちます。
福知山城の歴史
福知山城の始まりは、もともとこの地を収めていた横山氏の横山城でした。しかし、明智光秀が丹波を平定後、その横山城を1579年には福知山城と名前を変え、城を大改修しました。
そのあとすぐに、光秀が本能寺の変で信長を滅ぼしますが、光秀はそのわずか10日ほどで秀吉に滅ぼされ、そのあとは豊臣関連の武将がやってきます。豊臣氏が滅びると、有馬氏がやってきて、そのときに現在のような城下町ができたと言われます。
江戸時代に入ると朽木氏が13代にわたって明治時代までこの福知山を治めました。
福知山城
福知山城まで歩く
福知山線、または山陰本線で大阪や京都から来ると右手に大きな福知山城が見えます。
駅からはお城通りをまっすぐ歩いて20分ぐらいで着くんですが、中心部には商店外や古い町並みもあり、光秀をまつる御霊神社を経由して行くと。30分かぐらいかかってしまいました。
市役所近くにある伯耆丸公園からはお城の全体がきれいに見えます。昔はここからずっと城の土地だったことを考えると、お城はかなり大きかったんでしょうね。
福知山城
福知山城は平山城で、昇竜橋を渡ってお城に入ると、お城までは長い坂を登ってあがっていきます。残念ながら、福知山城は大半が破却されているので、入り口に門は残されていません。
なお、道には光秀の桔梗の紋が至る所にありますすね。実は福知山は昔、横山と呼ばれた田舎でした。しかし、そんな横山に城を作り、福知山と名前を変え、発展の祖を気づいたのは光秀なんですよね。
城はそれほど大きくないので登り始めてわずか数分で天守閣の前まで来ますが、福知山城で注目したいのが、その石垣。
城は1871年の廃城例で石垣以外のほぼすべてが壊されましたが、石垣は一度も崩されておらず、明智光秀が作った元々の福知山城の形をはっきりと伝えています。
福知山城の石垣は五輪塔や石塔などの転用石が多いのが特徴で、今でもこれらの石は石垣内にはっきり見ることができます。
天守閣
天守閣の前は小さな広場になっており、ここから天守閣がよく見えます。天守閣は意外と小さめで、彦根城くらいの大きさでしょうか。石垣を見ると切れ目が入っているところがありますが、これは江戸時代に増築した跡。明智時代には城はこれよりも小さかったんでしょう。
福知山城の天守閣は大天守(まんなか)と小天守(ひだり)がくっついたもの。木造に見えますが、実はコンクリート製です。
残念ながら破却前の写真もないので、かなり想像で建てたものです。なんともうまくできており、かなり古い建物のように見えますが、実際にできたのは1986年です。
ちなみに天守閣の中は博物館になっており、上まで登れば福知山の町並みを眺めることができますよ。
光秀が作った福知山はこの北近畿では最大の都市となりました。福知山では光秀が愛される理由がなんとなくわかった気がします。きっと光秀も誇らしげなんでしょうね。
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