叡福寺【聖徳太子の墓】
聖徳太子といえば、日本で仏教を広め、法隆寺を建てたことで有名です。そんな聖徳太子のお墓は実は、大阪の叡福寺にあります。
叡福寺
近鉄の上ノ太子駅から細い道を歩いて約20分。小高い山の上に叡福寺が広がります。この辺りは王陵の谷と呼ばれ、堺と飛鳥を結ぶ古代の官道である竹内街道沿いに太子の時代に活躍した小野妹子や推古天皇など、多くの人物の墓が集中してるところです。
今でこそ叡福寺はそれほど有名なお寺ではないのですが、空海、親鸞、日蓮といった仏教界の偉人がこの叡福寺を訪れています。
太子は生前からこの地を墓所に定め、622年に太子が49歳で亡くなるとここに墓が作られたと言われています。
そして太子の伯母にあたる推古天皇が土地建物を寄進し、墓を守るための堂を建てのが叡福寺の始まりと言われています。
叡福寺は信長の焼き討ちにあい、全焼しています。
のち、豊臣秀頼によって再建されたのが現在の伽藍。本堂となるのは金堂で1732年に再建されたものです。本尊は如意輪観音を祀っています。
聖徳太子廟
叡福寺で最も有名なのが聖徳太子のお墓。そうです、あの聖徳太子。
あんなに有名な人なのに、お墓がどこにあるのかは知らない人って人は多いですね。実は大阪にあります。
正式名称は叡福寺北古墳で、墳丘は直径50m、高さは11mの円墳です。こじんまりとしていますが、太子が亡くなった7世紀前半には古墳時代が終焉に近づいていたので、大きな前方後円墳とかではありません。
墳丘は結果石と呼ばれる柵によって囲まれており、ただならぬ雰囲気を感じます。
廟には太子だけでなく太子の母穴穂辺真人皇后(あなほべのはしひと)や妻の膳部菩岐々美郎女(かしわでのほききみのいらつめ)も埋葬されています。
石室はコンクリートでふさいでしまったようで、もう石室には誰も入ることはできないようです。
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