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備中松山城【唯一の現存山城】

日本の数ある城の中で、最も初期のタイプとされるのが山の上に築かれた山城です。この山城は防御力が高く、複雑な造りになっていたりするので、城としては最も面白いと思うのですが、残念なことにこの山城は現存しているところがほとんどありません。破却されたものもあれば、山の中にあるので、落雷などで焼失してしまったものも多いです。

しかし、そんななかでも、岡山県にある備中松山城は現存する唯一の山城として多くの人の注目を集めています。

備中松山城の歴史

備中松山城が気付かれたのは応仁の乱の頃。標高430mの臥牛山の頂上付近に、すぐ隣にある大松山城の支城として作られ、三村氏が納めました。

しかし、その三村氏が毛利氏に滅ぼされ、さらに毛利氏が関が原の乱で大幅に領地没収となると、城は徳川氏のものとなり、水谷家が3代にわたって改修、立て直しました。現在のような天守閣に改造されたのは1681-83年で水野勝宗によるものです。。

備中松山城
山の頂上に城があるのがわかりますか。

その後、城主が変わり最終的には板倉氏が8代にわたって収めました。

1873年になって近代的な政治となり、廃城令が出されると天守閣は放置されることになりました。しかし、その放置されたおかげで現在でも残る日本で唯一の『山城の天守閣』となっています。

備中松山城

備中松山城まで登る

岡山駅からJR伯備線で30分。備中高梁に着きます。駅前から城の駐車場までバスがあり、天守閣まで20分程度の鞴駐車場まで連れていってくれます。しかし、城好きとしては山の下から行かないと意味がないだろうということで、夫婦で話し合った結果、麓から山道を歩いて登ることにしました。

麓には美しい備中高梁の町並みが残る『本町通り』もあり、歩いて行ってもなかなか楽しめます。さらに、備中高梁城の外堀として機能した紺屋川沿いの辺りには美観地区があり、日本のみち100選にも選ばれています。

さて、麓の登城口のあたりには高梁高校がありますが、この辺りには御根小屋と呼ばれる政庁があり、城の人たちは普段はここで生活をしていたと言われています。

高梁高校
高梁高校(左)。確かに、土塀があって城っぽい感じです。

高校のところから橋を渡って、登城口まで来ました。ここから1500m。麓から歩くと天守閣まで徒歩1時間です。歩いている人はほとんどいませんが、なかなか楽しいハイキングです。なお、臥牛山には猿が多くおり、天然記念物に指定されています。

備中松山城の登山口
さて、登ります!!
備中松山城への道のり
道が急なところも。やっぱり結構大変な道のりです。
大石内蔵助腰掛岩
大石内蔵助腰掛岩。大石内蔵助は短期間、備中松山城を支配していました。

鞴駐車場を過ぎると、道も舗装されており歩きやすい道になっています。

備中松山城への道
もうすぐかなって感じです。
備中高梁の町並み
備中高梁の町並み。

備中松山城

山道を結構歩き、本当にこんな山の中に城があるのかなんて不思議に思っていると。いきなり目の前に巨大な石垣が出てきます。本当に大きいです。ここからいよいよ備中松山城です!!

備中松山城の石垣
いきなり現れる巨大な石垣。圧倒されます。

城内に入ると、多くの曲がり角が見られます。これはもちろん攻めてきた相手を簡単に城にたどり着けないようにするためで、城の防御力の高さがうかがえますね! かなりしっかりと保存・復元されているので、見どころは本当に多いです。

備中松山城の石垣 
これが1時間歩いてきた山の上にあるとは信じがたい光景です。
備中松山城の三平櫓東土塀
左側の壁(三平櫓東土塀)は現存当時のもので、重要文化財に指定されています。
備中松山城の石垣
大手門を入ってからも結構遠いです。さすが山城!!

天守

さてようやく山頂に着きました。山頂には天守閣がありますが、非常にこぶりな天守閣です。高さは11mほどで現存する城の中では最も低いです。天守閣が現存するところは日本にもいくつかありますが、日本の山城の中で現存する天守閣を持つのは備中松山城のみ。1681-3の水谷勝宗の修築の際に建てられたものだとされており、今まで300年以上ここにあることになりますね!

備中松山城 天守閣
備中松山城。左側に見えるのが天守閣。五の平櫓と六の平櫓は再建です。
備中松山城の城主
現城主のさんじゅーろー。やぱり城主ともなると、すごい威厳だ…!!

なお、天守閣の中に入ることもできます。せっかくここまで来たんだったら、是非入ったほうがいいですね!!中には囲炉裏があったりして、寒い中でも籠城できるような仕掛けがありました。この辺りでは冬になると結構な雪が降るんでしょうね。

城の隅にはいくつかの櫓がありますが、その大半が再建されたものです。いくら天守閣が現存しているからとはいえ、全部現存している、というわけにはいかないのでしょう。しかし、その中でも天守閣の裏側に回ってみると唯一現存する櫓が立っています。それが二重櫓です。総二階造りになっており、天守閣に次いで重要な役目を担っていたと思われます。

二の櫓
二の櫓。岩の上に立ってるみたい。

他のみどころ

大松山城

実は備中松山城ができる以前からこの場所には大松山城とよばれる中世の山城がありました。大松山城ができたのは1240年、秋庭重信によって築かれたといされています。その後、城主はころころ変わり、1331年には高橋宗康は大松山城を広げて小松山城(現、備中松山城)を作り、三村元親の時代には大きな城塞となりました。

大松山城への道。
二の櫓の裏側の小道から行けます。堀切を渡ります。
 

なお、現在では大松山城に残る建物は何もありませんが、中世山城の石垣をしっかりと残しており、備中松山城を訪れた後、ここを散策する人もいます。この臥牛山はサルの生息地でもあるので、歩いているとサルの叫び声のようなもんが山一面にこだましていました。運がいいと(悪いと?)遭遇するのも。

大松山城の石垣
石垣です。普段の中世の山城っぽい感じですね。

結構奥まったところに天守閣の跡地があります。特に天守を示すようなものは何も残っていないのですが、かなり広いところです。ここに屋敷のようなものが建っていたんでしょうか。

さらに奥まで行くと井戸がありました。山城では水の確保が常に問題になるので、水を確保するための井戸なんでしょう。周りは石垣に囲まれており、井戸としてはあまりにも立派すぎますが、何か隠れた意図があるんでしょうか。

大松山城跡
『大松山城跡』とあります。
大松山城の井戸跡
これは井戸? 石垣がある井戸跡言うのもなかなか珍しいですね。

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