飛鳥寺と飛鳥大仏【日本初の本格寺院】
古代政権の地と言えば、やっぱり飛鳥。そしてその飛鳥で最も有名なお寺が飛鳥寺です。今でこそかなり小さい寺ですが、日本で初めての本格寺院であり、昔はかなり巨大だったと言われています。
飛鳥寺
飛鳥寺は歴史はとても古く、蘇我馬子が仏教反対派の物部守屋との戦いにおいて、勝利を祈願して飛鳥寺(当時は法興寺と呼ばれていた)を創建し、596年完成したと言われています。
しかし、都が平城京に移り、飛鳥寺は元興寺となって奈良に移ると、飛鳥に残された飛鳥寺はあまり目立たない寺院となってしまったようです。鎌倉期には落雷で寺は焼失してしまいました。
現在の建物は江戸時代に再建されたものが中心です。
飛鳥寺というと、実は日本で初めて塔や金堂などをそろえた本格的な寺院でした。今では金堂がお寺のメインとなっていますが、飛鳥寺が建てられた時代は塔がお寺の中心でした。
そんな飛鳥寺も、現在境内に残るのは1825年に再建された小さなお堂のみ。しかし、この小さなお堂の中には飛鳥大仏とよばれる2.75mの大仏が安置されており、609年に作られて以来ずっと同じ場所に安置されています。
作ったのは鞍作鳥。他にも多くの仏像を手掛けた超有名な仏師です
顔の一部や左耳、指などは創建当初のまま。もともとは金色に輝いていたようで、それも剥がれ落ちてしまっています。残念ながら修復が多いためか、国宝にはなっていないようです。ただ、飛鳥時代の仏像の特徴を残した優しいお顔の仏さまです。
蘇我馬子や聖徳太子もここに来たのでしょうか。
蘇我入鹿の首塚
さて、飛鳥寺に来たら忘れてはいけないのが大仏と境内を出てすぐ近くにある入鹿の首塚。
聖徳太子と蘇我馬子は協力して廃仏派の物部守屋を倒しますが、それから蘇我家が大きな権力を持つようになり、蘇我入鹿・蝦夷の親子は飛鳥の甘樫丘に大きな家を構え、崇峻天皇を暗殺してしまいました。しかし、そんな蘇我も中大兄皇子や中臣鎌足らによって乙巳の変(大化の改新)において、殺されてしまいました。
この首塚の前に広がる野原こそ、中大兄皇子と中臣鎌足が出会ったときに蹴鞠をしていた広場があったと伝わる場所です。
また、蘇我入鹿の首は乙巳の変が起きた飛鳥板蓋宮からこの首塚まで飛んできたとも伝えられています。
コメントを残す