日根荘・大木地区を歩く【重要文化的景観】
泉佐野というと、関西空港開港以来ますます発展し、どんどん変化してきている街の1つです。しかし、この泉佐野から山間部へと行くと、美しい農村地区として知られる日根荘があります。
日根荘・大木地区を歩く
田園風景や農家というと、日本中にあるんですが、この日根荘(特に大木地区)は中でもかなり特別。というのも、この日根荘、中世にかなりしっかりと記録が残っている数少ない農村の1つなんです。
もともと日根荘とはこの泉佐野市全域に広がる荘園で、貴族の九条家の土地でした。そんな九条家の九条政基は応仁の乱後、関白まで上り詰めました。その後は1501年から1504年まで4年ほど、この日根荘に滞在しました。この場所での出来事が彼の日記である『政基公旅引付』にはっきりと記されています。
また、14世紀の当時の地図が、宮内庁所蔵の『日根野村絵図』に描かれています。

そして、驚くことに、現在でもこの地図通りの荘園の景色が広がっています。
日根症・大木地区を歩く
日根荘の最寄り駅はJR阪和線日根野または南海電鉄泉佐野駅。そこから犬鳴温泉行のバスに乗って、30分ほどです。大木のバス停に降りると、大木地区。犬鳴山の手前あたりです。
日本遺産に選ばれたものの、全く観光地化はされていません。近くにはコンビニ、トイレは全くなく、この地域を紹介する博物館なども全くありませんが、かろうじて看板が少しあります。
本当にのどかな農村で、天気がいいので、歩いているだけで気持ちいいです。大阪にもこんな地域がまだあるんですよね。
大木の高台にはため池があります。泉州地域は水が少ないので、こういったため池が多くあります。ここのため池から田んぼに水を送って、耕作をしているんでしょう。
斜面に石垣を積んで、農地を造成したりしています。この大木地区は山に囲まれており、少ない土地を上手に利用して耕作しています。日本人の昔からの耕作のあり方がはっきりとわかります。
ちなみに九条家が滞在したのは長福寺と呼ばれるお寺なんですが、現在は存在せず。町の小さなお寺も閉まっている感じでしょうか(?) 実はここから高速道路がすぐ近いんですが、駅からはずいぶん遠いので、住人の高齢化が激しそうです。
とはいえ、集落の中心には大きな立派な木造の小学校が1つありました。全校生徒は40人ぐらいの小さな学校のようですが、子供が全くいないわけではないんでしょう。
大阪にも美しい景色が広がるところがたくさんあります。
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