東海道を歩くin関東 3: 横浜から藤沢
日本橋から歩いてきた東海道もとうとう横浜まで来ました。この辺りの東海道は街道らしい雰囲気はもはや完全になくなっていますが、たくさんの歴史にあふれ、地域の面白さを100%楽しむことができるコースです。
東海道を歩くin 関東 3: 横浜から藤沢
横浜から保土ヶ谷へ
今回スタートするのは横浜駅から徒歩5分ぐらいのところにある『鶴屋町三丁目』の交差点。横浜駅のすぐ近くなんですが、東海道のあたりは本当に静か。歩いている人もあんまりいません。
しばらく行くと、高台に浅間神社があって、横浜の町並みを見下ろすことができます。昔はこの神社のすぐ下には海が広がっていたといわれていますが、今ではすいぶん変わってしまいました。
さらに行けば、洪福寺松原商店街。横浜のアメ横と呼ばれるほど活気のある商店街です。確かに、平日の朝からかなりの人がいます。
商店街を出れば、天王町駅。そして、すぐに保土ヶ谷宿です。
保土ヶ谷宿
保土ヶ谷宿は東海道の4番目の宿場。近くには保土ヶ谷駅もありますが、東海道線は止まりません。東京の電車は~線はとまらないみたいなのがたくさんあってめんどくさいです。
保土ヶ谷宿は駅が近いこともあってか、現在は西口商店街になっています。宿場を思わせるようなものはほとんど残っていませんが、かろうじて、いくつかの旧跡に看板が立てられていいます。
10月には保土ヶ谷宿場祭りがおこなわれるようですが、小規模な地元の商店街のお祭りみたいな感じです。
保土ヶ谷駅を過ぎて、しばらく行くと1号線に出るんですが、ちょうど突き当りにあるのが、保土ヶ谷宿の本陣。建物もあるように見えますが、再建されたもので、昔のものとはずいぶん違うようです。
保土ヶ谷宿では一里塚が復元されていたり、松並木のプロムナードになっていたり、東海道を盛り上げようとしてくれているのが本当にうれしいですね。
保土ヶ谷を出て権太坂へ
保土ヶ谷のあたりでは関西では決して見ないような巨大マンションがたくさんあったんですが、一里塚を過ぎたあたりからは一軒家が増えてきて、少し景色が落ち着いてきました。
さて、東海道は元町橋を渡ると住宅街から旧道の東海道を通って権太坂へ。1号線も権太坂と呼ばれることもありますが、東海道が行くのは、国道1号線ではありません。
権太坂はこの坂の名前を聞かれた老人が、自分の名前を聞かれているとのだと思って「権太」と答えたことが由来なんだとか。東海道を歩いている人が日本橋を出て初めての難所だったと言われており、確かにかなりの急坂です。
しかし、坂を上がってもずっと住宅街。山の急な斜面に立つ家を見ると、どこか神戸を思い出します。横浜と神戸って本当に似ているんですよね。
天気がいい日には坂の上から富士山を見ることができます。
坂の頂上までくると、境木地蔵尊。1659年に建てられたお寺で、鎌倉に漂着した地蔵を江戸に運んでいると、この場所の地蔵が動かなくなったので、ここにお堂を作って地蔵を祀ったんだとか。
東海道を行きかう人はこのお地蔵さんに拝んでいったんでしょう。またここには立場があって、旅人はここでぼた餅を食べて一服したと言われています。
ちょうどこの地蔵堂が武蔵と相模の境目になっています。また、ここからは横浜市戸塚区です。戸塚区は南北に長いんですが、その戸塚区を南北に縦断します。
権太坂を下り戸塚宿へ
境木地蔵尊からは焼餅坂を下りていきます。相変わらず住宅街ですが、そんな中でも旧東海道の名残が少しではありますが、残っています。
坂を下りてくると品濃一里塚。ここも住宅に挟まれていますが、なんと両脇の一里塚が残っています。これはかなりむちゃくちゃ珍しいです。昔のように両脇の一里塚が残っている例は全国的に見てもほとんどありません。
一里塚の上には、気が植えられているはずなんですが、その木は残っていないようです。すいぶんと切り下げられ邸はいるようですが、西側の一里塚は再建されたもの(?)とも言われています。
現存の一里塚はほとんど国の史跡ですが、品濃一里塚は県の史跡。わからないところが結構あるみたいですね。
坂を下りてくると東戸塚。駅前にはオーロラシティー、そして大きなタワーマンションもあります。さすが横浜です。駅前がとってもきれいです。
品濃坂を下りると、住宅地の中を歩いていきます。しばらく行くと国道1号線に合流します。
戸塚宿
イオンスタイル戸塚のあたりに江戸見附跡があり、ここから戸塚宿の始まり。そこから少し歩けば戸塚駅です。
戸塚駅の周りはずいぶん開発されていて、あまり宿場って感じはありませんが、なんともおしゃれな街です。いつか、こんな場所に住んでみたいものです。
高架橋でJR東海道線の戸塚駅を超えていきます。戸塚駅は一日平均利用者は98000人。大阪は環状線の京橋でようやく10万人ですからね、すごいなぁ、横浜。
戸塚駅はトツカーナがある分、西口のほうが発展しているような気がします。この戸塚宿には澤辺と内田の2つの本陣がありました。2つともすでになくなっていますが、澤辺宿跡には立派な石碑があります。
戸塚宿も終わりまでくると冨塚八幡宮。小高い山の上にある神社です。小さな神社ですが、裏手には冨塚古墳があり、これが戸塚の名前の由来になった場所。5世紀あたりの前方後円墳と言われていますが、古墳としての整備はあまりよくないせいか、円墳に見えます。
大坂へ
戸塚を出ると、あとは藤沢市に入るまでの5~6kmはずっと国道1号線を行きます。街道らしいものはほとんど何もないので、とても残念。かろうじて残る街道沿いの神社や旧跡を見ながら、歩きます。
戸塚駅からは再び長い坂を上がります。大坂と呼ばれており、以前は2つの坂に分かれていたんだとか。
大坂も坂を上がると昔は松並木が広がり、とても風光明媚な景色が広がっていたようです。今は松並木こそないものの、遠くに富士山や丹沢の山々を望むことができ、坂の上からの景色はきっととても美しかったんでしょう。
この大坂の上の原宿や影取あたりには最寄駅が遠く、戸塚や藤沢に行くバスが頻繁に来ます。ただ、どのバスもかなり混んでいる感じ。朝とかかなり大変なんでしょうね…
国道ということもあって、ロードサイド店舗が多いです。関西では見たことがない飲食店のお店も多いので、なかなか楽しいです。
影取の名前の由来として知られるのが、大蛇「おはん」の話。
長者の蔵に住み着いた大蛇を「おはん」と名付けて飼っていましたが、長者は没落してしまい、「おはん」は影取池に住み着いて空腹のあまり人の影を食べるようになってしまいました。
そして、そんな「おはん」を恐れた人々は猟師を雇って、鉄砲で「おはん」を退治してしまいました。そんな猟師たちの出身地は鉄砲宿として知られています。鉄砲宿は遊行寺坂の上のあたりの地名として残っています。

影取を過ぎると、すぐに藤沢。横浜市からとうとう抜けました!!かなり長かったです。
ちょうど市境には俣野別邸庭園があります。住友財閥が作った和洋折衷の建物で、なんともユニークな建物。建物の周囲には大きな庭園があり、市民の憩いの場となっています。
藤沢宿
さて、とうとう藤沢市まで来ました。藤沢と言えば、湘南ですね。江の島も近く、いろんな魅力がある街です。
国道1号線が市の中心部を避けて行くのに対し、東海道は1号線からそれて、藤沢宿へと長い坂を下っていきます。この長い坂は遊行寺坂と呼ばれ、坂の下までくると遊行寺。そして、すぐに藤沢宿です。
遊行寺は清浄光寺とも呼ばれ、時宗の総本山。鎌倉仏教の1つで、歴史はとても長いですが、関西ではめったに聞かないですね。宗祖の一遍は、日本各地を遊行し、踊念仏を広めました。
また遊行寺には小栗判官と照手姫の墓所がある塔頭の長生院小栗堂も。関西では熊野古道が小栗街道と呼ばれており、結構なじみのある人物なんですが、小栗判官は遠くこの藤沢で亡くなっていたんですね。というか、小栗判官って実在の人物じゃないんですね!
さて、今回はこの遊行寺まで。この遊行寺はちょうど藤沢宿の入り口に立っています。藤沢は遊行寺の門前町であり、さらには宿場町でもあります。今でもとても大きな街ですね。次回はこの藤沢宿を散策した後、大磯宿まで歩きたいと思います。
なお、藤沢宿は藤沢駅からあるいておよそ20分ほど北の位置にあります。藤沢駅まで歩いてもいいし、または藤沢宿から東海道を歩くと、小田急の藤沢本町駅があります。

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