出雲阿国【歌舞伎の創始者】
日本の伝統芸能と言えば、やっぱり歌舞伎ですね。出演者は男性だけですが、本当に多くの歌舞伎役者がいます。そんな歌舞伎ですが、実は創始者は女性。出雲出身の出雲阿国という人物です。
出雲阿国
阿国の生涯
歌舞伎の祖と言われるからには、さぞかし有名な人物だったんだろうと思ってしまうかもしれませんが、実は阿国について多くのことはわかっていません。出雲出身の人物で、出雲大社の工費をまかなうため、巫女と称して興行をしていたといわれています。
とはいうものの、このときお国はまだ若く、「ややこ踊」というかわいらしい踊りだったようで、京都で演じた記録が残されています。
しかしそんなお国ですが、その数年後大きく方向転換し、「かぶき踊り」を披露するようになっていきました。この「かぶき踊り」とは服装や行動が華美である「かぶき者」の要素を取り入れた踊りでした。
お国は男装して、刀を差し、ペンダントを首から提げて踊るようになり、茶屋で女性と戯れるシーンを演じたりしました。
そして、これが大ヒット。庶民や武士などがこぞって見るようになりました。また四条や北野天満宮でも公演するようになりました。
しかし、阿国は1607年、江戸で歌舞伎を演じた後、行方がわからなくなります。出雲に帰って尼になったという説もありますが、真偽は定かではありません。
出雲大社付近には阿国の墓が残されています。
さまざまな歌舞伎
そんな歌舞伎踊りですが、ここまでヒットになってしまったこともあり、似たようなことをやり出す人たちも出てきました。遊女歌舞伎では、遊女達が舞っていたのですが、世の男性たちがぞっこんになってしまい、女性の取り合いになってしまったからでしょうか、風俗が乱れるという理由で禁止となりました。
そして次に出てきたのが若衆歌舞伎。これは若い美形の人たちによる歌舞伎でした。しかし、これもまた世の男性が演者に夢中になり、その当時それなりにはびこっていた男色をさらに誘発することになるので禁止に。
そして江戸時代の元禄の頃に最終的には成人の男性が舞う野郎歌舞伎が主流になります。この野郎歌舞伎では特に美形な人たちが出てきたわけではなかったので、ここで歌舞伎は演劇のようになっていきました。この野郎歌舞伎が今の歌舞伎につながっています。
この頃にはもはや歌舞伎踊りとはかなり違うものですが、いずれにせよ、出雲阿国が始めた歌舞伎踊りが、今の歌舞伎の原点ともなっており、多くの歌舞伎役者があがめるのが出雲阿国なんですよね。
歌舞伎の舞台で女の人を見ることは絶対にないのですが、創始者が女性というのはなんとも面白いですね。
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