中山道 Final: 近江八幡(武佐)~草津
東京から続く中山道。今日はその中山道でも最後の区間となる近江八幡(武佐)~草津までを歩いてみました。20km程度で歩きやすい距離ですが、田園風景や麦畑など美しい景色が広がり、素晴らしい散歩コースです。
中山道を歩く: 近江八幡(武佐)~草津
さて、今回は近江八幡から。京都から快速で30分ぐらいのところにあります。八幡堀や八幡城などで知られる滋賀の観光スポットです。
近江八幡とはいえ、実はそこから近江鉄道に乗り、1駅先の武佐からのスタートです。実は中山道はJR近江八幡駅付近を通っていないんですよね。
日野川を渡って野洲へ
武佐は武佐宿があった場所。近江鉄道の武佐駅は武佐宿の本陣を少し過ぎたところにあり、前回彦根から歩いた時に通りました。
昔は賑わった宿場のようですが、今ではあまり宿場らしいものは残っていないです。今では近江八幡の中心地は完全にJR近江八幡駅付近や八幡堀の方でしょうね。
しばらくは国道8号線に沿って日野川(横関川)へと向かっていき、川の手前でまた横道にそれていきます。
道の両側にはかなりのどかな田園風景が広がりますが、稲ではなく麦畑でしょうか。滋賀県は全国でも麦の生産が4位で、近畿では最大の作付面積です。
青空の下、金色の小麦が映えてすばらしい景色です。
日野川まで来ました。ここは昔渡し船があったところです。歌川広重の『中山道六十九次之内』にもその様子が書かれており、川に2艘の船を並べて、その上に板を渡していた様子が書かれています。
たしかに川は結構小さめですね。頑張れば泳いで渡れそうなほどです。横関橋で日野川を渡れば竜王町です!!
鏡の里から野洲へ
竜王町もまたのどかな田舎です。竜王という名前はなんともかっこいいですが、これが2つの村(苗村と鏡山村)が合併したときに両方の町に別々の竜王山があったから。今ではそれぞれ雪野山(東の竜王山)と鏡山(西の竜王山)と呼ばれています。
竜王に入ると途中、鏡宿という間の宿がありました。残念ながら残っているようなものはほとんどないのですが、旅籠や本陣跡には看板が立っていました。
また中山道沿いには道の駅『道の駅かがみの里』があり、いい休憩場になりますよ。野洲に向けて小さな峠を越えるので少し坂道になっています。
ちなみに鏡の里というと、義経の元服の地として知られており、それにちなんだ史跡が多くあります。道の駅のすぐ近くにある鏡神社もその1つ。鏡神社は鏡山(竜王山)の麓にあります。
やっぱり有名な街道を歩いていると沿道にいろいろあるのが楽しくていいですね。
野洲
かがみの里を越えるとすぐに野洲です。大半の大阪人にとっては野洲は新快速の終点ぐらいのイメージしかないのですが、中山道や東海道を歩いてみると本当にいろいろある街だと言うことがわかります。
途中、八号線沿いに平宗盛胴塚がありました。宗盛はここで斬首され、首だけが京に運ばれました。
中山道から少し逸れたところには大笹原神社があります。本堂が国宝の神社で、国宝と聞くと行かずにはいられないので、寄り道してみました。15分ほど歩いたところにあります。
森の中に佇む静かな神社ですが、国宝らしい立派な社殿を持つ神社です。
野洲にはほかにも国宝の社殿を持つ御上神社もあります。1つの市に2つも国宝があるのはすごいですね。御上神社は中山道からだいぶ離れた三上山の麓にあります。
さて、大笹原神社に立ち寄ったので30分ほどロスして再開です。
他にも野洲といえば、銅鐸ですね。
大岩山古墳群で銅鐸が24個も出土しており、中には日本最大の銅鐸もありました。古墳群を形成する甲山古墳(円墳)や天王山古墳(前方後円墳)は中山道沿いの桜生(さくらばさま)史跡公園内にあります。また付近には銅鐸博物館もあります。銅鐸専用の博物館。すごく行きたかったんですが、時間的に行けませんでした。
公園の中に入ってみたのですが、初夏だったこともあり草が茂っていてへびもいたので退散しました。
ここから野洲駅のすぐ近くを通って行き、野洲川へ向かいます。
野洲は駅の西側が発展しているのですが、中山道は東側を行きます。
野洲川を越えていきます。野洲川は鈴鹿山脈から琵琶湖へそそぐ川で、東海道を歩いた時、この野洲川沿いを歩いて滋賀県を越えて三重県へと入っていきました。かなり大きな川なので、昔は渡るのが大変だったんでしょうね。
この辺りから見た三上山(近江富士)は特にきれいで、まるでピラミッドのように三角形です。そんなに高い山というわけではないのですが、近くに何もないモナドノックなので、かなり巨大な山に見えます。
守山宿へ
野洲川を渡って10分ほどいくと守山。ここは中山道最後の宿場となる守山宿です。武佐から13kmということで、結構長かったですね。
京都から32キロという地点にあり、京都を出発した人がこの守山あたりで1泊することが多かったようです。本陣は2、脇本陣1、旅籠は30なので、中くらいの大きさの宿場ですね。
古い町並みもそれなりに残っており、どこか街道らしい雰囲気が残ります。街道を歩いていて町が街道沿いの町並みを大事に残してくれているととてもうれしく思います。
守山宿の真ん中には守山寺こと東堂院があります。
もともと延暦寺を守護するために平安時代に建てられたお寺で、守山寺と名付けられました、これが守山の名前の由来なんですね。
土橋を渡ると守山宿からは抜ける感じでしょうか、草津も近いので住宅地らしい雰囲気になってきました。
守山宿を出ると、加宿された今宿。そして、一里塚も残っています。この守山宿を抜けるともうすぐ草津ゴールです!
栗東、そして草津へ
守山宿をぬけると1kmほど栗東市を歩き、そして草津です。特に草津は近年で著しく発展しており、このあたりからは住宅地が増えてきます。また中山道は他の街道同様、おそらく裏道になっており、交通量も多めです。
しかし、栗東というと栗東トレーニングセンターのイメージですね。
途中綣(へそ)という面白い地名がありました。綣というのは糸をつむぐときに糸を巻き取って球になったものが綣というんだそうです。
草津市に入るとゴールはもうすぐです。駅前の大きなタワーマンション『ザ・草津タワー』を過ぎ、短いアーケードの商店街『カラーモール夢大路』を通ります。さらに、天井川となった草津川のトンネルを通れば合流地点です。
ちなみに草津川は河川の発展により付け替えられましたが、今でも旧河川は公園になったりして整備されています。
ちなみに、草津と言うと今では急速に発展していっています。
商店街を抜け、振り返ると多いな灯篭。ここが東海道との合流地点です。中山道は東海道より少し長かったのですが、同じく五街道のうちの1つ。東海道とは違って随分山深いところもありました。東海道はここで合流した後、草津宿を抜け、大津を通ってそして京都へと向かいます。
草津と言えば姥が餅が有名なので、お土産に買って帰ろうと思います。
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