近江神宮【天智天皇の大津京】
大化の改心で蘇我家を滅ぼした中大兄皇子。のちに第38代天智天皇として即位し、近江の大津で新たな都を開きました。現在はその地に近江神宮が建てられ、滋賀県では人気の観光スポットになっています。
近江神宮
近江神宮は京阪石山坂線の近江神宮駅から歩いて10分ほど。鳥居をくぐると長い参道が続きます。
この近江神宮は近江大津宮があったところに築かれています。天智天皇はこの大津に都をおきましたが、実はそれはわずか5年ほどのことなんですよね。壬申の乱で天智天皇の弟と息子がもめ、最終的に弟が天武天皇として即位すると、都は再び飛鳥に戻ります。
1940年に皇紀2600年を記念して作られた神社で、神社自体はそれほど古い歴史がある神社ではありません。
楼門をくぐると拝殿が見えてくるのですが、近江神宮は内拝殿と外拝殿が回廊でつながれており、そのさらに奥に本殿があります。近江造りと呼ばれる独特なスタイルです。本殿はほとんど見えないのですが、とても堂々とした感じです。主祭神は天命開別大神(あめみことひらかすわけのおおかみ)。天智天皇の別名です。
百人一首の聖地としての近江神宮
近江神宮は百人一種の聖地として知られています。というのも、百人一首の一番初めの和歌である「秋の田の かりほの庵の とまをあらみ わが衣では露に濡れつつ」(訳: 秋の田にある仮小屋の屋根に使われている苫の目が粗いので、私の衣の袖が濡れてしまったよ)は天智天皇の詩なんですよね!!
こういう理由もあって、ここでは毎年1つの上旬名人位・クイーン位の決定戦も開かれています。
時計
天智天皇は日本初となる壬申戸籍を始めましたが、彼はそれ以外にも非常に多くの功績を残しています。そんな天智天皇が導入した新たな技術の1つが時計。一定の量の水を流し込んで、どれだけたまったかで時間がわかる『漏刻』を作りました。
近江神宮では境内のいたるところに、時計会社が奉納したユニークな古代の時計が置かれており、境内には時計館宝物館もありました。
なんともユニークな神社ですね!!
コメントを残す