大和三山をハイキング【耳成山、畝傍山、香久山】
奈良の橿原や飛鳥といった古代の町を歩いていると、奈良平野には3つの山がそれぞれ独立してあるのがわかります。これらの山々は大和三山と呼ばれ、古代から神聖視されてきた、日本の文化を知るうえでとても重要な山々です。どれもそれほど離れているわけではないので、休日のぽかぽかした日ににこの山々を歩くのはとても気持ちいいですよ!!大きな山の登山だけでなく、小さな山の登山もどうでしょう??
大和三山とは?
大和三山とは耳成山、畝傍山、香久山のことを指します。これらの山は7世紀に作られた藤原京のそれぞれ北、東、西を守る山とされ、当時藤原京で働いていた人たちはこの大和三山に関して多くの詩を詠みました。そのいくつかは万葉集や小倉百人一首にも残っており、日本の文化において最も重要な山の1つともいえます。
“春過ぎて 夏来にけらし 白妙の 衣ほすてふ 天の香久山”
– 持統天皇
これらの山は決して大きくなく、そのどれも山頂まで15分程度の登山のものばかりです。とはいえ、山が少し離れているので、全部登れば1日かかるのかも。藤原京跡に行くと三山がはっきり見えるので、まずは藤原京跡に行ってどこから登るか計画を立ててみるといいのかも!!
大和三山に登る
耳成山 (139m)
耳成山は大和三山の中でも最も北にある山であり、藤原京の北を守る山です。最も美しく形成された山で、きれいな三角形になっています。もともと火山だったようで、浸食されて頭頂部だけ残りこのような形になったようです。「みみなし」という名前が示している通り、耳がないように見えませんか?
実は近鉄大阪線に乗ると大和八木出発後すぐにこの耳成山のすぐそばを通るので、電車からも見えます。いくつか登山口がありますが、耳成山口神社の参道が道が広くて登りやすいです。登山道を探して歩き回ってたら見つけました。小さな山なので、山の周りをずっと歩いても20分ぐらいしかかかりませんでした。
山頂の近くに、耳成山口神社があります。この神社は奈良時代からある神社で、藤原京があった時からここにある神社のようです。最初ここで帰りそうになりましたが、ここは山頂ではありませんよ!!山頂へはこの神社の脇を通ってさらに登っていきます。
さて、山頂に到着です。登り始めて15分でした。山頂は木に覆われているので、あまり眺望はよくないですが、わずかな隙間から香久山が見えます。
畝傍山 (199m)
畝傍山は橿原神宮のすぐ後ろにそびえる山で、藤原京の西を守る山です。199mもあり、大和三山では最高峰の山です。「うねび」という名が「火がうねる」という言葉からきていることからもわかる通り、もともとは火山です。浸食されて今のような形になりました。
畝傍山の登山道は橿原神宮の北側から登る道と畝傍山口神社から登る道との2つあります。橿原神宮からの方が道が広くて歩きやすいです。畝傍山口神社からだと階段が多かったです。ここは他の山より少し大きめなので、歩いて20分程度かかっています。
頂上には畝火山口神社の跡がありました。この神社は現在山の麓にあるのですが、元々は頂上にあり、神武天皇を見下ろすなんてということで麓に移されたようです。山頂は若干展望があり、香久山や耳成山も見えます。
香久山 (152m)
香久山は藤原京の東を守る山で、この山はもともと飛鳥から続く他の山々と山地を形成していたのですが、浸食によりこの山が切り離されてしまいました。なので、すぐ後ろには山地があります。他の2つの山と違って横に広がっている山で、低くみえますが、それでも152mあります。昔は天から降ってきたと考えられ、天香久山とも呼ばれます。
大和三山の中でも最も神聖視されたと言われる香久山ですが、麓には多くの神社があります。
いくつか登山道があり、地図無しでは少し迷いやすいところもあります。といっても、迷ってもすぐに山から出られますが・・・。私たちは天岩戸神社付近から登り、万葉の森の方へと抜けています。そうすれば香久山を南から北へと縦断できます。
登り始めて10分ほどで山頂到着です。山頂には国常立神社があり、雨をつかさどる高龗神を祀ります。よく雨ごいが行われたようです。古代の人もここに上って同じ景色を見たんでしょうか。そしてここで何を考えていたんでしょう。日本の歴史ファンにはたまらない場所です。
香久山は古事記にも登場します。天照が岩戸に隠れてしまった際、天宇受売がこの香久山の笹をもって裸になって踊り、天照大御神を岩戸から出したとあります。確かに、今でも竹が生えてるのがなんともいいですね!!
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