山の辺の道を歩く【奈良の歴史を歩く】
奈良といえば本当に多くの歴史的なものが存在するのですが、実はあまり発展が進んでおらず、昔ながらの道や街道も多く残されています。そんな中でも山の辺の道は最も人気のハイキングコースのうちの1つです。
山の辺の道まで
山辺の道のスタートは石上神宮から。天理駅を降りて、まずは石上神宮に向かいます。
天理の駅から石上神宮まではだいたい歩いて30分ぐらいでしょうか。天理は天理教の施設が広がり、日本唯一とも言われる宗教都市。まさに『天理』の名前も天理教から名付けられたほどです。
通常、こういった宗教施設は信者でなければ入れないんですが、天理教は誰でも入ることができるんですよね。
本堂に座ってみると、信徒さんが手をひらひらさせていました。あれが天理教のお祈りのスタイルなんでしょうか。
さて、天理の駅から歩いて30分ほどで石上神宮。石上神宮は大きな神社ではないのですが、奈良では最も有名な神社の一つ。石上神宮七支刀はじめ、様々なものが国宝に指定されています。
しかし、そんななかでも気になるのが境内を歩き回るたくさんの鶏。昔からいたわけではないようですが、なんともかわいらしいです。
山の辺の道
さて、とうとう山の辺の道がスタートです。
実は、山の辺の道は奈良の春日山から石上神宮をとおり、三輪山の麓の海拓榴市(つばいち)まで続く道で、全長は26kmもあるのですが、石上神宮より北の奈良市へ向かう『北コース』はあんまり人気がないんですよね。
一方、石上神宮から南へ向かう16kmの道のりは多くの人がハイキングを楽しんでおり、日本の原風景を楽しめる道です。
始まりは結構山側を歩きます。とはいえ、山道ではないので、本当に歩きやすいです。そして何よりきれいです。
山の辺の道は歩くなら、やっぱり秋ですね。山の辺の道沿いには柿の木がいっぱいあって、本当にのんびりとした奈良の田舎の風景を味わうことが出来ます。
ちなみに秋に来ると、いろんなところで柿が売っていました。こういう路上で販売しているものは安いし、おいしいんですよね。躊躇無く買ってしまいました。
ほかの季節に来てもこういった無人スタンドは多くあって、果物や野菜を売っています、。
夜都伎神社
さて、歩き始めて最初に見る神社が夜都伎神社です。春日大社と同じく春日神を祀る神社です。
拝殿が萱葺きの屋根になっていて、とても珍しい神社です。
古墳を見ながら三輪山へ
大きな古墳が見てきました。242mもある巨大な前方後円墳で、第10代崇神天皇陵です。
崇神天皇は現存した可能性が高いとされる初めての天皇で、意富多多泥古はじめ、多くのエピソードがある天皇です。古事記には「山の辺の道の勾の岡にあり」とあり、ここがその勾の岡とされています。
他にもこの辺りに三角縁神獣鏡が出土した黒塚古墳などもあり、まさに古墳尽くしの奈良を味わうことができます。
左手(東側)には山がずーっと連なっていますが、これがまさに大和の青垣。まるで垣のように山が連なっているんですよね。
日本の神話で、関東を制圧した倭建(やまとたける)が故郷の奈良を詠んだ『倭は国のまほろば たたなづく青垣 山隠れる 大和し美し』にちなんで付けられた名前で、現在は大和青垣国定公園になっています。
相撲神社
山の辺の道からは少し逸れるのですが、相撲神社にも立ち寄りたいですね。相撲神社は出雲の野見宿祢と奈良の当麻蹴速が相撲を取り合った場所で、相撲発祥の地とされています。
結果は、野見宿祢が勝ち、当麻毛早は蹴り殺されてしまいました。今相撲で蹴りが禁止されているのはこういった事情があるからなのでしょうか。
なお、相撲神社の前からは邪馬台国(近畿説)があったとされる纏向遺跡の全体が見渡せます。邪馬台国の卑弥呼もこの高台に上がってきては、全貌を見渡すことがあったのでしょうか。彼女はここで何を思ったのでしょうか。
見晴らしがとてもいいですね。
檜原神社・大神神社
しばらく歩くと、檜原神社が見えてきます。もう三輪山の麓でゴールが近づいてきました。
檜原神社は大神神社の摂社で、天照大神が祀られています。実は伊勢神宮ができる前、天照大神は宮中に祀られていたのですが、宮中に祀るのはよくないだろうということで、新たな住まいを探しに行きました。最終的には伊勢に落ち着くんですが、実は住まい探しの道中で、いろんなところで祀られているんです。そして、この檜原神社こそが最初に天照大神が祀られた場所なんです。
この檜原神社からは卑弥呼の墓ともされている箸墓古墳も見えます。天照大神=卑弥呼説を唱える人もある中で、この場所は本当に魅力的ですね。
背後の三輪山には古事記にも登場する大物主が祀られているのですが、その関連性もまた興味深いところです。
檜原神社から20分ほど歩けば、大神神社につきます。大神神社は背後にそびえる三輪山をご神体とする、日本で最も古い神社の1つ。
山の辺の道は大神神社の境内の中も通っていくので、ぜひお参りしておきたいですね!!
そして海拓榴市へ
大神神社で山の辺の道を終える人は多いのですが、山の辺の道の終点はこの大神神社から30分ぐらい歩いたところにある海拓榴市(つばいち)というところです。
さて、海拓榴市に到着です。ここは昔男女が歌を交わした歌垣で知られるところ。昔はにひ
ここはちょうど大和川が流れる場所で、古代の日本では渡来人たちは難波津にて船を乗り換えて、この大和川を上り、さらにここで馬に乗り換えて奈良の都を目指したと言われています。
また、ここは伊勢やや長谷寺に行く初瀬街道をや高田からくる横大路などさまざまな街道が交差する場所でもあるんですよね。もう何度も来ました。
さて、山の辺の道はここまで。ここから桜井駅までは歩いて20分ほどです。
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