弘川寺【「桜の歌人」こと西行のゆかりのお寺】

日本といえば桜ですね。桜は日本以外のいろんな国にありますが、日本の文化こそが桜と最もよく合うと言えると思います。そして、桜に関する歌や和歌などは平安時代から現代まで多数作られてきましたが、その中でも最も桜を愛した男は誰かと言うと「桜の歌人」こと「西行」になるでしょうか。

「桜の歌人」こと西行

西行は1118年に、非常に裕福な武士の家庭に生まれました。流鏑馬などの武芸に長けていて、18歳の時には北面の武士(天皇直属の武士)になりました。また、武士としてだけではなく、歌人としても評価は高い人物でした。しかし、順調に人生が進んでいた西行だったが、22歳の時に突然出家。この出家の理由は、失恋したからや友人の休死、政治が嫌になったなど様々なことが言われており、結局のところわかっていません。いずれにせよ、妻子もいたのですが、それも弟に任せて急にエリートから離れて僧になる決意をします。

ink painting of saigyo by kukuchi yosai
西行。wikipediaより。

西行は出家したものの、特定の寺院に属したり、階級を求めたりということはせず、様々なところを旅しながら、各地で山里に小さな庵を作って、仏堂の修行に励みました。そして、西行はこの旅の途中のあらゆるところで、たくさんの詩を残しました。特に、彼は桜に心を惹かれ、230もの桜を題材にした和歌を残しています。その桜の和歌のうちの1つにこのようなものがあります。

「願わくは 花の下にて 春死なん その如月の 望月のころ」

(どうか、春の、桜の花の下で死にたいものだ、ちょうど釈迦が入滅した2月の満月のころ)

この歌は西行が死ぬ10年前に読まれたと言われていますが、この歌の通り1190年に訪れていた大阪奥河内の弘川寺にて、咲きほこる桜の下亡くなりました。

弘川寺

寺の創建は古く、665年に役行者によって開かれており、812年には弘法大師がこの寺を大きくしたようですが、戦国時代に河内を納めていた畠山家内で内紛が発生、その戦乱でこの寺はすべて焼けてしまいました。

stone steps leading to the entrance of hirokawa temple
山門等はない、小さなお寺です。

main temple grounds of hirokawa temple and blooming sakura tree

blooming Suyazakura tree at hirokawa temple

西行の墓

西行の墓、西行の桜の道へは、本堂のわきの道を山へと進んでいきます。ここまで来たのならせっかくですからぜひ行くべきです。

坂の途中には西行堂があります。この西行堂は江戸時代に建てられたもので、江戸時代に西行を慕ってこの弘川寺に移り住んだ似雲が建てたものです。

残念ながらしまっています。

山の中腹には西行の墓があります。墓の周りに桜はありませんが、墓の隣の山には桜が多く植えられています。

The grave of famous poet and monk saigyo at hirokawa temple
西行の墓.
こっちは似雲の墓

西行桜山周遊路

西行の墓の前には、西行桜山があります。

西行の桜山は平日だったせいか、ほとんど人がおらず、1時間もあれば十分見ることができました。桜が山の景色といい感じにブレンドされてとても美しいです。平野で見る桜もいいですが、山で見る桜も本当にきれいですね。


西行博物館

広川寺には西行の記念館もあります。

entrance to small museum about saigyo

350 year old kaidou sakura tree
ここの海棠は樹齢350年。海棠の見ごろは4月の中頃で、普通の桜よりも咲く時期は少し遅い
桜がいっぱいあるわけではないのですが、一本一本がとても美しいです

弘川寺のアクセス情報

住所
大阪府南河内郡河南町弘川4-3

 

行き方
富田林駅から金剛バスで30分ほど。「河内」バス停から徒歩15分ほどです。

 

営業時間
9:00~17:00

 

拝観料
無料(記念館は500円)

 

そのほか
 

 

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