東海道を歩くin関西 2: 四日市~亀山

東海道は日本で一番有名な街道で、幾千もの人たちがこの街道を使って、西日本と東日本を旅してきました。
今日はこの街道を四日市駅から20kmほど歩き亀山まで向かいます。今日も主に平地歩きで、住宅地が多いのですが、美しい鈴鹿山脈に沿って歩き、宿場など見どころは多いです。

東海道を歩く2 in 関西: 四日市~亀山

四日市~日永

四日市は近鉄とJRの駅がありますが、近鉄の方が大きく、便利です。東海道も近鉄寄りにあります。

やっぱり三重は近鉄の方が発展していることが多いですね。四日市からはあすなろ鉄道沿いに歩いていきます。田舎ですが、街道らしい雰囲気はしっかりとあります。

四日市からどんどん東海道を南下していきます。
鈴鹿山脈がきれいに見えますね。
大宮神明社。

さて、四日市から歩いて30分ほどで日永に来ました。

日永はうちわの生産が盛んなところで、日永うちわは三重県の指定工芸品にもなっています。

日永一里塚.。ちょうど100番目の一里塚なので、東京から400kmです。
東海道の松が残っています。昔は街道沿いに松の木がたくさんあったんですよね。

この日永で最も有名なのが日永の追分。道の真ん中に立派な鳥居が立ちますが、ここで伊勢街道と東海道が分岐します。

伊勢街道の人はここを左へ行き、津、松坂へ。右へ行くと、亀山から鈴鹿峠を経て京都へ向かいます。昔はさぞ賑わっていたんでしょうね。

日永の追分。伊勢にも行かなきゃなぁ!!

杖衝坂

日永から少し進んで内部川を渡ると杖衝坂。この杖衝坂はヤマトタケルが東征の際に非常に疲れていた(伊吹山で白イノシシとの戦いに敗けた)ので、杖をつきながらよろよろと歩いて行った坂がこの杖衝坂。実際に古事記にも登場する神話の舞台です。

ちょうどこの桑名の辺りはヤマトタケルが最後の力を振り絞って大和に帰ろうとしていた時で、足が疲れたので「足が疲れて三重にまがった餅のようだ」といったことから、この三重の地名が生まれたんですよね。

住宅地の中にありながら、この坂は国の史跡にもなっています。

結構な坂です。
杖衝坂。『三重』の由来となった地なんですよね。
101番目の采女一里塚跡。

ここからはしばらく国道1号線に沿いに歩いていきます。1号線はやっぱり交通量も多く、中にはサイクリングを楽しんでいる人もいます。

1号線を歩いている途中に鈴鹿市に入ります。

鈴鹿市といえば、鈴鹿サーキットで有名なところですが、サーキットがあるのは海側。ここは山側なので、サーキットからはかなり遠いです。

ここから鈴鹿市
とんてきが!!来来憲はとんてき発祥のお店で、本店は四日市にあります。

石薬師宿

さて、1号線を歩いてしばらく行くと石薬師に到着です。ここは東海道44番目の宿場で、旅籠が30件程度と比較的小さめの宿場だったようです。

国学で有名な明治時代の学者、佐々木信綱の生まれた場所としても知られています。

石薬師と北町の地蔵堂(看板の後ろ)
小沢本陣跡(左)。現在でも敷地はかなり広いようです。
蒲冠者こと源範頼を祀る。鳥居の横には巨木があります。
石薬師文庫。佐々木信綱が寄贈した図書館。

この石薬師宿には石薬師寺があります。石薬師と言う名前もこのお寺から来たのかと思ったのですが、実は逆。元々お寺は瑠璃光院という名前で、石薬師宿にあることから、石薬師寺にかわりました。

726年に泰澄によって作られたお寺で、本尊は空海が爪で彫ったと言われる薬師如来。かなり古い歴史があるお寺です。

西国薬師霊場としても知られるお寺で、この辺りではかなり大きめのお寺です。

石薬師寺。本堂は1629年のもの。
すぐ下に国道1号線が走ります。
石薬師一里塚

ちなみに、ゴッホの作品の1つであるPortrait of Pere Tanguy『タンギー爺さん』の背景には浮世絵が書かれており、その1つが広重が描いたこの庄野宿の『義経さくら範頼の祠』の模写。ゴッホが模写するなんて、すごいですね!!

庄野へ

石薬師から次の宿場である庄野を目指しますが、庄野までは実はかなり近いです。線路沿いを歩き、さらに国道1号線をしばらく歩いて30分ほどで着きます。

途中、歌川広重『東海道五十三次之内』の絵画の中でも傑作の1つとされる「庄野の白雨」の舞台となったであろう場所を通りますが、今では山が削られてしまっており、ずいぶん違うものになっていますね。

のどかな感じです。これでも旧東海道。
歌川広重『東海道五十三次之内』でも傑作として知られる『庄野の白雨』。
この辺りがその舞台となった場所。今では工場になっているので入れません。

庄野

庄野は東海道45番目の宿場で、本陣が1つ旅籠は15件と若干小さめの宿場でした。四日市宿と亀山宿の間の距離がないので新設された宿場町で、東海道の中でもできた年代が遅めの宿場です。

今では特にお店があるわけでもなく、結構寂れた感じもしました。街道関係の資料は庄野資料館に保存されています。

庄野宿資料館。建物は1854年の旧小林家住宅。油問屋だったみたいだ。
庄野本陣跡。残念ながら何も残っておらず。
庄野の町並み。

庄野から亀山

庄野を出ると、亀山まではあと1~2時間程度です。四日市や鈴鹿といった湾岸の工業地帯からも結構離れてきたので、田舎な風景になってきました。

鈴鹿山脈が見えますね。
中富田一里塚跡。
この辺りで鈴鹿川と安楽川という2つの大きな川が合流します。

井田川の駅まで来ました。ここは亀山の1つ手前の駅です。ただ、田舎なので、次の駅まではまだ5kmぐらいありますが。

なお、ここからヤマトタケルの最後の場所と言われる能褒野神社までは30分ほど。決して大きな神社ではないのですが、ヤマトタケルの陵墓があるので、時間があれば行ってみたいところです。

井田川駅。
ヤマトタケルだ!!
三重県内で一番古い道標。

亀山の中心部が近づいてくると、新しめの家が増えてきます。もうすぐ今日の終わりが近づいてきました。

野村一里塚(右)。三重県で唯一現存する一里塚。関西の一里塚でベストだと思います。

亀山宿

亀山宿に到着しました。亀山は東海道46番目の宿場であり、町の中心には亀山城があり、宿場町でもありながら城下町でもあったんですよね。

とはいうものの、残念ながらそれほど多くの歴史的な物は残っておらず、一部に街道らしい町並みが残るのみです。

商店街の中も通りますが、日曜の昼間なのにほぼすべて閉まっていました、まぁ地方は最近どこもこんな感じですよね。

全体的にかなり寂れた感じです。
本陣跡
城下町らしい曲がりくねった道です。

東海道から南に歩いてすぐのところに駅がありますが、駅とは反対方向の北に行くと亀山城もあります。

残念ながら天守閣はなく、現存するのは多聞櫓のみですが亀山の象徴です。明智光秀の亀山城(丹波亀山城)と間違えてここに来ちゃう人っているのかな。

亀山城多聞櫓。
加藤家長屋門。城下町の武家屋敷も残っています。

さて、ということで今日はこれぐらいにしたいと思います。四日市から出発して7時間。結構歩きましたね。能褒野神社には立ち寄れば、+1.5~2時間程度はかかるのかも。

結構遠かったですが、なかなかみどころにあふれた道でした。やっぱり街道歩きはいいですね!!

次は鈴鹿峠を越え、土山までを歩きます。

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