観音寺城【日本五大山城】

戦国時代、近江という場所は特に重要視された場所でした。のちに近江は信長によって制圧され、安土城が建てられましたが、信長がやってくる前にこの地を治めていたのは六角氏でした。六角氏は安土城にほど近い繖山を本拠地とし、山頂付近には観音寺城を築きました。今では城は廃城となりましたが、日本五大山城として、城好きには必見のスポットになっています。

観音寺城の歴史

観音寺城は古くは南北朝時代にできたものですが、このときはただの砦でした。本格的な城のなるのは、16世紀のことで、六角氏の六角高頼が城を築きました。この城は繖山の頂上にあり、繖山が岩山だったことこから、石垣を多用した立派な城が作られました。本格的に石垣が導入された信長の安土城よりも前の城であることを考えると、かなりの先進的技術を持った城だったようです。

観音寺城の衰退

応仁の乱後、将軍足利家の権威は失墜。室町将軍の足利義輝は暗殺されてしまったのですが、今度はその弟義昭も命が危ないと京都から逃げて行きました。そして彼は室町幕府を再考しようと様々な武将を頼り、そのチャンスを狙っていましたが、行き着いたのは織田信長でした。形だけとなっていた室町幕府ではあったのですが、一応将軍である足利義昭に認められたことにして京都に入ると、他の武将の上に建てるから信長にも悪い話ではなかったんでしょう。しかし、信長がのんびりしているうちに彼の天敵である三好三人衆が足利義栄を将軍に擁立してしまいました。

観音正寺と観音寺城。繖山の山頂付近にあります。大きな山です。

先を越された信長と義昭は美濃(岐阜)から出発するのですが、ここで大きな問題がありました。それは、美濃から京都に行くには六角氏(その時には六角義賢・義治)の領土である近江を通過しなければいけなかったのです。そして、さらに悪いことに六角氏は三好三人衆と通じてました。三好氏は協力の態度を見せず、両者はとうとう戦になりますが、支城の箕作城が陥落すると、そのすぐ後に観音寺城も攻められ、燃えてなくなってしまいました。

観音寺城

観音寺城に行くには、観音正寺の表参道や裏参道、桑実寺から上がってくるルート、さらに登城の正規ルートである追手道などいろいろあります。しかし、大半の人は歩いて上がってくるのではなく、観音正寺まで車で来るようです。確かに、結構ハイキング好きでないと、歩いて登って歩いて降りるのはきついのかも。そもそも追手道まで安土駅から徒歩1時間かかり(バスはないです)、さらに登城に1時間かかります。ここは小谷城のようにクマが出ることはないようですが、夏とかだと草がかなり茂っていてよく見えないのかも。

さて、この日はすでに観音正寺に来ていたので、今日はここからスタートします。観音寺の脇にある門を開けて通り抜けていき、観音寺城まで向かいます。

観音正寺。
観音正寺のここのゲートを開けて観音寺城へ行きます!

お寺からお城までは15分ほど。観音寺城への道がわからない場合は寺の受付の人に聞くと、丁寧に教えてくれたし、縄張り図もくれました。また、安土駅前の安土資料館では安土城の地図だけでなく、観音寺城の地図ももらえます。なお、観音寺城へ行く場合、観音正寺を拝観しないとしても、観音正寺で拝観料を納める必要があります。

あっ、侵入者!
ちょっと道からそれると繖山の頂上へも行けますが、頂上には特に何もなかったです。

山城ということもあって、山の中には数多くの遺構がありますが、ひとたび歩いてみるとこの観音寺城がどれだけ大きいかということが本当によくわかると思います。実際のところ、あまりに大きいのでまだ発掘しきれていないところもあるようです。観音寺城のみどころといえば石垣で、信長が安土城を築く前から石垣を多用した観音寺城を作っていました。そのため、山の中には遺構と思われる石垣が多数存在し、その状態もかなりいいものもあります。

山の中には曲輪が本当に多くあり、遺構とみられる石垣がたくさんあります。

しばらく行くと見えてくるのが本丸です。本丸は意外とお寺の近くにあるのですぐに行けました。残念ながら、記録もほとんど残っていないので、どんなお城が立っていたのかは全くの不明のようですが、本丸付近にはかなり多くの遺構がのこっており、かなり立派だったことは容易に想像できます。

観音寺城の本丸への階段
本丸への階段です。想像力が掻き立てられます。
本丸付近の石垣。こんなに残っているのは本当にすごいです。
観音寺城の本丸
本丸につながる虎口

まだまだ続く観音寺城

なお、本丸を過ぎると小さめの曲輪が多数あり、平井丸や池田丸など家臣の名前が付けられています。観音寺城では多くの家臣は山の上に住んでいたようで、江戸時代になると城内に家臣を済ませるのはなんら不思議ではないのですが、これは六角氏の試みが初めてだったようです。なお、曲輪は全部で100近くあったといわれており、それらが互いにつながりあい、まるで迷路のようです。この城にはおそらくまだまだ分かっていない曲輪や土塁なんかもあるんでしょうね。

観音寺城の池田丸
池田丸の虎口。石垣がかなりいい状態で残っています。
観音寺城の石垣
池田丸にはかなり立派な石垣が残ります。こんなに長く残るのは本当にすごいですね。技術の高さがわかります。
観音寺城の平井丸
平井丸の虎口。立派な石垣です。

池田丸の南には大石垣が並んでいます。ここの石垣は本当に見事ですね! ここからの見晴らしはすごくいいので、見張りをしていたところなんでしょうか。眼下には平野が広がり、その真ん中を新幹線が横切っています。

大石垣。結構草が生えて見えにくいですが、冬に来たらもうちょっとみやすいのかも。
下を横切っているのは新幹線。このお城は景色が本当にいいです。

これからずっと下っていくと追手道へとたどりつき、追手道をずっと下っていきます。一番下まで降りてくると御屋形跡があり、ここが六角氏の屋敷があった場所だったようです。山の上の城は結構遠いので、普段の生活は山の下にある館で行っていたんですね。館と城をつなぐ道なので、この追手道こそが観音寺城へのメインのルートなんでしょう。

追手道はちょうど観音正寺の表参道がある日吉神社のところに出てきます。ここから最寄りの安土駅までは徒歩1時間程度です。

ここが六角氏の居館跡。大きな石垣が並んでいます。六角氏はどんな大きな家に住んでいたんでしょう。

 

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