今城塚古墳【はにわがいっぱい】
古墳といえば、巨大な前方後円墳のほとんどは天皇陵に指定されているため、一切立ち入ることができません。もちろん、それだけでなく研究のための発掘もほとんど許可されていません。しかし、この大阪に天皇陵であるにも関わらず、実際に入ることができるところ前方後円墳があります。それが高槻にある全長350mの巨大な前方後円墳、今城塚古墳です。
今城塚古墳と太田茶臼山古墳
どうして今城塚古墳だけ入ることができるのかということですが、答えは単純です。宮内庁はそう思っていないからなんです。実は、今城塚古墳の西におよそ1kmのところに、太田茶臼山古墳というのがあります。この太田茶臼山古墳は数度の発掘調査により、非常に有力な人物が埋葬されていることがわかり、また北大阪最大の古墳でもあったことから、第26代継体天皇陵として宮内庁によって指定されました。しかし、実はこの仮説に問題がなかったわけでもありませんでした。というのも、太田茶臼山古墳は5世紀半ばに作られたことが判明しており、6世紀半ばに亡くなったとされる継体天皇とは年代が合わなかったのです。

そして、1997年からは今城塚古墳は整備のため発掘調査が行われました。しかし、その発掘調査によって次々に大王クラスの墓であることを示す証拠がでてきました。結果、今城塚古墳は6世紀前半に作られてものだとわかり、継体天皇の死期と一致することから、今ではほとんどの学者が今城塚古墳こそが継体天皇の墓であると結論付けていています。
今城塚古墳
今城塚古墳は現在は公園としてきれいに整備され、ピクニックしたりしている人たちや墳丘で走り回っている子供たちがたくさんいます。これが天皇陵であることは考えにくいですね。まあでも平和に過ごす自国民を間近に見ることができて、幸せなのかもしれません。
古墳の外彫りなどは完全に埋め立てられ、ずいぶん変わってしまっているところもあるのですが、中心となる墳丘そのものははっきりと見ることができます。



ちょうど頂上部分の下に棺があったそうですが、残念ながら墳丘は損壊が激しかったようで、天皇の遺骨は見つかっておりません。これは、この古墳が地震によって土砂が流出し、大きな被害を被ったことによるようです。
今城塚古墳が天皇の墓だということができることの理由の一つが出土した埴輪の数やその種類の多さにあります。今城塚古墳の一部から多数の埴輪が発見され、その埴輪は歴史博物館に移されているものの、今では埴輪があった場所にレプリカの埴輪がおかれています。



他のスポット
今城塚古代歴史館

もしもっと今城塚古墳について知りたければ、古墳のすぐ近くに古墳博物館もあります。普段は無料なのですが、企画展があるときは無料ではありません。私たちが行ったときは無料ではありませんでした・・・( ;∀;)。ただ、出土した本物の埴輪や土器などが展示され、藤原鎌足の阿武山古墳の展示もありました。阿武山古墳はこの博物館から歩いて1時間ぐらい。山の中にあり、京大の地震研究所の入り口近くに登山口があります(わざわざ行ってきました!)。
新池遺跡
今城塚古墳の近くに新池遺跡という遺跡があります。この遺跡は今城塚古墳や太田茶臼山古墳に埴輪を提供していた、全国最大級の埴輪工場です。埴輪工場の遺跡は全国にいくつかあるようですが、全容がはっきりとわかるのはここ新池遺跡のみとされています。


なお、この新池遺跡は大型の前方後円墳が作られなくなった6世紀半ば以降はその役目を失い終焉していきました。周囲はかなりの住宅地ですが、そのなかにこの古墳だけが1つだけポツンと存在しています。
今城塚古墳の基本情報
住所 |
大阪府高槻市郡家新町48-8
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行き方 |
阪急京都線富田駅またはJR摂津富田駅から徒歩20分です、近くまでバスもあります
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拝観時間 |
10AM-5PM (博物館)
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拝観料 |
古墳は常時無料。博物館は企画展開催時以外は無料。
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そのほか |
古墳は住宅地内にあるので少しわかりにくいです。
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