東高野街道を歩く3: 柏原~河内長野

今日は東高野街道の最後のパート、安堂駅から河内長野までを歩きます。距離としてはおよそ20km。世界遺産にも選ばれた古市古墳をはじめ、多くの見どころがあり、南河内を存分に楽しめむことができるコースです。

東高野街道を歩く3: 柏原~河内長野

藤井寺市

近鉄大阪線の安堂駅を降りると、南に向かい大和川へと向かいます。大和川は今はここから西へと流れ、大阪湾へと注ぎますが、昔はここから北へ流れており洪水も絶えませんでした。そんな大和川は1704年に東大阪の中甚兵衛らが中心となって架け替えられ、今のような形になりました。

今では近鉄道明寺線が大和川を渡っていますが、この道明寺線はもともと河陽鉄道と呼ばれ、数ある近鉄線の中でも最古。大和川を渡る鉄橋も明治時代にできたかなり古い橋なんですよね。

大和川をつけ変えた中甚兵衛
築留二番樋。明治~大正期にかけてつくられた灌漑施設
大和川橋梁を渡る近鉄道明寺線。

大和川を渡ると藤井寺市。しばらく川沿いに行き、南に向かいます。この辺りは世界遺産にもなった百舌鳥古市古墳群の古市古墳群があり、有名なお寺や神社もたくさんあります。結構寄り道していると、時間を使い果たしてしまうので注意ですね。

藤井寺(葛井寺)は西国33箇所の大きなお寺なのですが、東高野街道から少し逸れたところにあり、東高野街道は道明寺の付近を通過します。道明寺といえば、梅で有名な道明寺天満宮が有名ですが、道明寺というお寺もあるんですよね。

そういえば、関東に住んでいた時に、関東人の方々は桜餅のことを『道明寺』と呼んでいましたが、それは道明寺粉が使われているから。道明寺粉はこの辺りが発祥です。

市野山古墳(9代天皇允恭天皇陵)
道明寺。本尊は十一面観音菩薩で、国宝です。
道明寺天満宮の梅

道明寺を越えたあたりから、古墳がたくさんあります。とうとう古市古墳群ですね!!

羽曳野市・古市古墳群へ

道明寺から南に10分ほど下ると羽曳野市。古市古墳群の中を抜けていくので、東高野街道沿いにはたくさんの古墳があります。

やっぱり見ておきたいのは、誉田御廟山古墳(応神天皇陵)。大仙古墳(仁徳天皇陵)に次いで、日本で2番目の大きさの前方後円墳です。

誉田御廟山古墳(応神天皇陵)です。日本で2番目に大きな前方後円墳です。

応神天皇陵のすぐ南には誉田八幡宮。神社の近くは石畳の道になっています。

祭神はもちろん応神天皇です。年末にはお神酒がワインなので有名なところで、これは羽曳野市がブドウの生産で有名なことに由来しています。

さらに誉田八幡宮のお神輿は源頼朝寄進と伝わる国宝の『塵地螺鈿金銅装神輿(ちりじらでんこんどうそうしんよ)』です。

誉田八幡宮付近。左に1838年の石碑。
誉田八幡宮。

竹内街道と交差した後は住宅地って感じになってきました。

羽曳野という名前はヤマトタケルが白鳥となってこの地に降り立った白鳥伝説によるものですが、東高野街道はヤマトタケルの陵墓とされる軽里大塚古墳(白鳥陵)のすぐ近くを通るので、是非立ち寄っておきたいですね!!

ここで竹内街道と合流します
軽里大塚古墳。
街道らしいまっすぐで細い道。
道の脇に神社は珍しい!!

このあたりで百舌鳥古市古墳群は終了します。街並みも住宅地というより、畑や田んぼがちょっとずつ見えてきました。

南阪奈道路を越えると、もうすぐ富田林。富田林まで来るとゴールはもうすぐって感じがしてきました。

羽曳野市のキャラクター『つぶたん』が書かれていますね。
二上山がきれいに見えますね。
街道の雰囲気があるところも多いです。

富田林寺内町へ

近鉄線の貴志駅まで来ると富田林市です。読み方は『とんだばやし』。

道がやや細くてわかりにくいところもありますが、とりあえず東高野街道を歩いて寺内町を目指します。

美具久留御魂神社の鳥居。社殿はここから西に10分ほど行くとあります。
PLの塔が見えます。
寺内町が近づいてくると雰囲気が出てきました。

富田林でもっとも有名なところが寺内町。東高野街道も寺内町の中を通って行きます。

富田林寺内町は興正寺別院を中心に戦国時代より発展した寺内町で、今でも古い町並みが広がります。大阪には貝塚や富田、枚方など寺内町はかなり多くあるのですが、この富田林が大阪では一番大きい寺内町。大阪で唯一『重要伝統的建造物群保存地区』にもなっています。

寺内町を貫く城之門筋は日本の道100選にも選ばれています。

興正寺別院。他の寺内町同様に巨大です。
旧杉山家住宅
誰もいないことを確かめて撮りました。

寺内町では地元の人が写真を撮られることにうんざりしているのか、そこら辺に写真撮影禁止のマークがあります。なかなか撮影しにくくなってきましたね。 

寺内町なら橿原の今井町の方が大きくて、もうちょっとウェルカムな感じがします。

富田林から河内長野へ

さて、富田林を過ぎると河内長野まではもうすぐです。

川西駅付近の歩道橋から。山が近づいてますね。
このあたりには史跡の看板が多くあります。
古い石碑が残っていますね。

滝谷不動駅を過ぎたあたりに、滝谷不動という有名なお寺があります。昔から眼にいいて言われているお寺ですが、実はかなり遠いです。

山の上に見える塔が滝谷不動。遠そうだなぁ…

ちょうど河内長野市に入る直前に見ておきたいのが錦織一里塚。一里塚は街道の目印として一里ごとに作られたものなのですが、東高野街道ではそのほとんどがすでに取り壊されており、ここと八尾の2か所だけが現在残っている状態です。

錦織一里塚。塚の上には1653年の宝篋印塔がたっています。

河内長野市

一里塚を過ぎると、踏切を渡ると河内長野市。残り1時間っていう感じでしょうか。

河内長野市はかなり開発されている町なんですが、街道には多くの灯篭や地蔵がきちんと残されています。こうやって昔のものがきちんと保存されているのを見るとなんだかうれしくなりますね。

河内長野には西高野街道も通りますが、西高野街道もよく保存されています。

孝子地蔵、母思いの娘が建てた地蔵。
それとなく灯篭が置かれているのがいいですね。
ちょうど梅雨の季節に歩いています。

そろそろゴールが近づいてきていますが、長距離街道はいつもゴールが近くなると少し寂しいような気分になります。

灯篭は街道らしくていいですよね。
極楽寺の大仏さんが見えます。

河内長野

長野商店街の短いアーケードを抜けると、とうとう河内長野駅に到着しました。石清水八幡宮から河内地域を南北に横断し、なかなか長い道のりでした。そして、これで東高野街道は終了です。

多くは住宅地となっていましたが、沿線には古い神社など立ち寄りスポットは多く、街道としては大満足でした。

大阪に住んでいたら1度は歩いておきたい道ですね!!

河内長野駅。ここも何度山登りで来たんだろうか。
西高野街道との合流地点。

この河内長野駅で西高野街道と合流し、高野山へと向かって南下していきます。まだまだ高野山は遠いですね。次回は河内長野から紀見峠を越え、橋本まで歩きたいと思います。

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